保守革新(読み)ほしゅかくしん

改訂新版 世界大百科事典 「保守革新」の意味・わかりやすい解説

保守・革新 (ほしゅかくしん)

政治勢力を二分法的に分類するときに用いられる用語で,〈保守〉が一般的に保守主義的立場に立つ勢力を,〈革新〉が反保守主義的立場に立つ勢力を,それぞれ総括的に指すが,もっぱら日本の自民党社会党を中心とする〈55年体制〉下の政党勢力の配置状況に関連して用いられてきた。この場合,〈保守〉は自民党を中心とする政治勢力を,〈革新〉は社会党を中心とする反自民勢力を意味する。55年体制下の政治分析上この用語が有効でありえたのは,一つには,この体制の下で政治勢力が自民党と社会党に大きく二分され,両党が保革両陣営のそれぞれの結集点を形成していたからである。すなわち,1955年10月の左派社会党と右派社会党の統一による日本社会党の再発足と同年11月の民主党自由党の保守合同による自由民主党の創設後,国会内の勢力は両党に2極化され,55年体制成立後の最初の総選挙であった58年総選挙の結果では,衆院議席の61.5%を自民党,35.5%を社会党が占め,総議席の97%が両党の手中に帰した。また,得票率は自民が57.8%,社会が32.9%で,投票者の10人中9人は自社いずれかの候補者に票を投じていた。この二分法を有効にしていたもう一つの理由は,憲法改正,日米安保条約,再軍備などの政治的争点をめぐる国民世論の分界線が明確に引かれ,これらの争点への賛否と自民,社会両党への支持とが連動していたことである。

 しかし70年代の半ば以降,〈保守〉〈革新〉は日本の政治勢力の配置状況をとらえる用語としては,しだいに有効性を失ってきた。第1に,1960年の民社党,64年の公明党,76年の新自由クラブ,77年の社会市民連合(1978年3月に社会民主連合と改称)などの相つぐ登場により,自社2党体制がくずれ,しかもこれらの新政党が〈中道勢力〉として,政治上,自民と社会・共産の中間に位置し,政治勢力が大きく三分される形勢になってきたからである。ちなみに80年の衆参同日選挙の結果によると,衆院では自民党の議席率55.6%に対して,革新勢力としての社会・共産両党の議席率は26.6%,中道4党の議席率は15.7%であり,また得票率は,それぞれ47.9%,29.1%,19.3%であった。さらに比例代表制下の最初の参院選であった83年参院選では,比例代表区での自民,社共両党,中道諸党のそれぞれの得票率が35.3%,25.3%,26.7%であっただけでなく,ミニ政党としてのサラリーマン新党が4.3%,福祉党が3.4%の得票率をあげ,保守・革新の2極対決の構図はますますその輪郭がぼやけてきたのである。しかも第2に,55年体制下での政治勢力二分の明確な対決点を形成してきた主要争点が,その後の社会的・政治的条件,とりわけ国際環境の変化を背景とした世論の多元化のなかで,対決点としての有意性を不可避的に喪失してきたからである。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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