信徳(読み)しんとく

精選版 日本国語大辞典 「信徳」の意味・読み・例文・類語

しん‐とく【信徳】

〘名〙 神仏信仰の功徳
※妙好人伝(1842‐52)初「清九郎の信徳(シントク)の顕(あらはれ)と称せざるはなし」

しんとく【信徳】

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改訂新版 世界大百科事典 「信徳」の意味・わかりやすい解説

信徳 (しんとく)
生没年:1633-98(寛永10-元禄11)

江戸前期の俳人。姓は伊藤(また山田),通称は助左衛門,別号は梨柿園,竹犬。京都の人。富裕な商家に生まれ,家業のため諸国を往来することが多かった。1645年(天保2)13歳のころから俳諧をたしなみ,梅盛に師事して貞門風を学んだが,延宝期(1673-81)に入るころから高政,常矩(つねのり)らに接近して談林風に転じた。75年(延宝3)《信徳十百韻(とつぴやくいん)》を上梓して新風を世に問い,〈墨絵に山あり水あり。渡唐の僧筆をそめしに似たり。俗をはなれて,風流なき所又風流〉(《誹諧絵合》)などと評された。77年東下,翌春にかけて桃青(芭蕉),信章(素堂)と《江戸三吟》を巻いたのを手始めに,新風をめざす京・江戸両俳壇の橋渡し役を務めた。蕉風の誕生を促した貞享期(1684-88)の有心優美体は,信徳らの創意工夫によるところが大きい。しかし元禄1年(1688)ころから観念的な俳風の流行におぼれ,現実性を尊ぶ芭蕉から〈そこらは信徳が知る所にあらず〉(《去来抄》)と酷評されるに至った。著書に《京三吟》(1678),《袿姿(うちきすがた)》(1692)等がある。〈雨の日や門(かど)提げて行くかきつばた〉(《俳諧古選》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「信徳」の意味・わかりやすい解説

信徳
しんとく
(1633―1698)

江戸前期の俳人。伊藤氏。本姓は山田氏か。通称助左衛門。別号梨柿園(りしえん)、竹犬子。京都の人。裕福な商家の出身で、初め貞門(ていもん)の高瀬梅盛(ばいせい)に師事したが、延宝(えんぽう)(1673~81)初年から談林(だんりん)派の高政(たかまさ)や常矩(つねのり)らに接して、談林風に傾倒。1677年(延宝5)には江戸へ下って芭蕉(ばしょう)らと交流し『江戸三吟』を刊行し、また81年(天和1)には『七百五十韻』など新風体を模索する注目すべき撰集(せんしゅう)を刊行するなど、芭蕉らと歩調をあわせて蕉風俳諧(しょうふうはいかい)胎動の契機をなした。以後も芭蕉らとの交流を続け、元禄(げんろく)期(1688~1704)には言水(ごんすい)、如泉(じょせん)、和及(わぎゅう)、我黒(がこく)らとともに京俳壇で重きをなすが、のちには蕉門との間は疎遠になった。編著『京三吟』『誹諧五(はいかいいつつ)の戯言(たわごと)』『胡蝶(こちょう)判官』『雛形(ひながた)』など。

[雲英末雄]

 雨の日や門提(かどさげ)て行(ゆく)かきつばた

『荻野清編『元禄名家句集』(1954・創元社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「信徳」の解説

信徳 しんとく

伊藤信徳(いとう-しんとく)

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