元久(読み)ゲンキュウ

デジタル大辞泉 「元久」の意味・読み・例文・類語

げんきゅう〔ゲンキウ〕【元久】

鎌倉初期、土御門つちみかど天皇の時の年号。1204年2月20日~1206年4月27日。

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精選版 日本国語大辞典 「元久」の意味・読み・例文・類語

げんきゅう ゲンキウ【元久】

鎌倉時代土御門天皇の代の年号。建仁四年(一二〇四)二月二〇日甲子革令説に基づいて改元出典は「毛詩正義」の「文王建元久矣」。元久三年(一二〇六四月建永と改元。

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日本の元号がわかる事典 「元久」の解説

げんきゅう【元久】

日本の元号(年号)。鎌倉時代の1204年から1206年まで、土御門(つちみかど)天皇の代の元号。前元号は建仁(けんにん)。次元号は建永(けんえい)。1204年(建仁4)2月20日改元。1204年は甲子(かっし)にあたり、甲子は徳を備えた人に天命が下される革令(かくれい)の年で変乱が多いとされることから、先例にならい甲子革令を防ぐ目的で改元が行われた。『毛詩正義(もうしせいぎ)』を出典とする命名。元久年間の鎌倉幕府の将軍は源実朝(さねとも)(3代)。実朝の将軍就任は、前年の比企能員(ひきよしかず)の変(北条氏の策謀により、幕府要職にあった比企能員が失脚した事件)で、追放された兄の源頼家(よりいえ)(第2代将軍)が死去したという虚偽の報告を朝廷に行った結果、家督相続が許されたことによる。頼家は幕府執権の北条時政(初代)により修善寺に幽閉され、1204年(元久1)に殺害される。翌1205年(元久2)には、その時政も伊豆に追放され、北条義時(よしとき)が第2代執権に就任した。同年には『新古今和歌集』が成立している。

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