光孝寺(読み)こうこうじ

精選版 日本国語大辞典 「光孝寺」の意味・読み・例文・類語

こうこう‐じ クヮウカウ‥【光孝寺】

中国広東省広州市にある寺。三国時代からの古い寺で、制旨寺と称した。禅宗との関係が深く、五二七年には始祖達磨(だるま)が住したと伝える。六祖慧能をまつる風幡堂、瘞髪(えいはつ)塔、六祖殿などがある。

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世界の観光地名がわかる事典 「光孝寺」の解説

こうこうじ【光孝寺】

中国の広東省の省都、広州(コワンチョウ)市の光孝路にある仏教寺院。六榕寺(りくようじ)、海幢寺、華林寺とともに広州四大寺院の一つとされ、同省内で最大、最古の寺である。寺院のある場所は、かつて南越王趙陀(200~265年)の玄孫・趙建徳の住居があり、彼の死後寺院に改築されて「制止寺」となったところである。その後、676年に、唐の高僧慧能(えのう)がこの寺の菩提樹の下で受戒し、南宗(南宋禅)を開いたことから、この寺院が創建された。749年、5回目の日本への渡海に失敗して海南島に漂着した鑑真は広州にたどり着き、光孝寺で一春を過ごしたといわれる。かつては「報恩広孝寺」と呼ばれていたが、南宋時代の1151年に現在の光孝寺に改められ、今日に至っている。境内には慧能を祀る六祖殿、涅槃仏(ねはんぶつ)を安置する睡仏閣、中国国内最古といわれる2座の鉄の塔がある。中国政府から全国文物重点保護単位に指定されている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「光孝寺」の意味・わかりやすい解説

光孝寺
こうこうじ
Guang-xiao-si

中国,広東省広州市にある古寺。創建は東晋,隆安年間 (397~401) と伝えられるが,現在は大雄宝殿が宋,淳祐年間 (1241~52) の重建で,清の順治 11 (1654) 年に改築したらしい。大雄宝殿の東西にある2基の鉄塔は,ほぼ同形同大で四角七層。第1層の寸法は 1.2m,全高約 3m,彫刻がにぎやかで千仏塔と俗称される。西塔は五代,南漢の大宝6 (963) 年,東塔は翌7年の建造

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「光孝寺」の意味・わかりやすい解説

光孝寺
こうこうじ

制旨寺

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