光永星郎(読み)みつながほしろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「光永星郎」の意味・わかりやすい解説

光永星郎
みつながほしろう

[生]慶応2(1866).肥後
[没]1945
通信社,広告代理店経営者。『毎日新聞』『福岡日日新聞』などの記者を経て,1901年に日本広告株式会社と日本電報通信社を創立,07年にはこれらを合併して日本電報通信社設立 (資本金 26万円) ,通信,広告を兼営したが,36年国策通信社として同盟通信社の設立とともに通信部がこれに統合されたため,以後 45年まで広告代理業の経営にあたり,今日の電通基礎を築いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「光永星郎」の解説

光永星郎 みつなが-ほしろう

1866-1945 明治-昭和時代前期の実業家
慶応2年7月26日生まれ。「めさまし新聞」などの記者をへて,明治34年日本広告と電報通信社を設立。39年電報通信社を日本電報通信社(現電通)と改組し,翌年日本広告と合併。昭和11年国策により通信部門をきりはなし,広告代理業を専業とした。貴族院議員。昭和20年2月20日死去。80歳。肥後(熊本県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の光永星郎の言及

【電通[株]】より

…旧社名の株式会社日本電報通信社を1955年に改称したが,旧社名時代も電通が通称だった。光永星郎(本名,喜一)が1901年(明治34)新聞社に対するニュース通信業と広告代理業の併営を志し,日本広告株式会社と電報通信社を東京京橋で開業したことに始まる。日露戦争後の1907年,この2社を統合して株式会社日本電報通信社を設立した。…

※「光永星郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android