精選版 日本国語大辞典 「児玉源太郎」の意味・読み・例文・類語
こだま‐げんたろう【児玉源太郎】
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(田中宏巳)
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明治時代の陸軍軍人。嘉永(かえい)5年閏(うるう)2月25日、徳山藩士児玉半九郎(?―1856)の長男に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争には東北、箱館(はこだて)に出陣。維新後陸軍に入り、士族反乱の鎮圧に活躍。1885年(明治18)参謀本部第一局長、1887年陸軍大学校長としてドイツ人メッケル少佐とともに近代軍制整備に尽力。1891年ヨーロッパ視察、翌1892年帰国し、陸軍次官兼軍務局長。日清戦争には大本営陸軍参謀となり、戦功により男爵を授けられる。1898年台湾総督となり1906年(明治39)まで在任。この間、1900年から1902年まで陸軍大臣、1903年には内務大臣、文部大臣を兼任した。同年参謀次長、翌1904年陸軍大将に進む。日露戦争には満州軍総参謀長として出征。戦後1906年参謀総長となり子爵に陞爵(しょうしゃく)。満鉄設立委員長となるも、まもなく同年(明治39)7月23日病没。軍略、政略に優れ、知将としての名声が高かった。
[由井正臣 2018年9月19日]
『宿利重一著『児玉源太郎』(1942・国際日本協会)』
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明治期の陸軍軍人。日露戦争時の満州軍総参謀長として陸軍作戦指導の中心人物。徳山藩士児玉半九郎の子で戊辰戦争参加後,兵学寮をへて将校となり,西南戦争では熊本鎮台参謀として谷干城を助けて熊本城に籠城。軍制改革では陸軍大学校創設運営の中心となってメッケルの戦術を導入し,参謀養成教育を確立する。日清戦争では陸軍次官兼軍務局長として大山巌陸軍大臣が軍司令官として出征中の軍政の責任者であった。第4代台湾総督として台湾の反乱鎮圧に成功,陸軍大臣,内務大臣,文部大臣を兼任後,対ロシア戦争に備えて参謀次長に就任。朝野ともに〈児玉の要〉という語が通用するに至った。1904年大将,06年参謀総長就任後病没。伯爵。視野の広い戦略家であった。
執筆者:大江 志乃夫
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…陸軍部隊は韓国領内を北上し,5月鴨緑江を渡った最初の戦闘でロシア軍を敗退させ,また南山の戦でも激戦の末に優位を占めた。6月に満州軍総司令部が編成され,総司令官に大山巌,総参謀長に児玉源太郎を任命し,その下に第1軍から第4軍が統轄されることになった。8月末から9月初めの遼陽の戦は,日露両軍が総力を結集した戦闘となり,双方ともに2万名以上の損害を出すという激戦となり,ここでもロシア軍は後退したが,日本軍の被った打撃も深刻なものがあった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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