八日市(読み)ようかいち

精選版 日本国語大辞典 「八日市」の意味・読み・例文・類語

ようかいち やうかいち【八日市】

滋賀県中東部の地名。旧市名。市場町として発達。名神高速道路が通じ、電気機器などの工業が盛ん。昭和二九年(一九五四)市制。平成一七年(二〇〇五)周辺の町と合併して東近江市となる。

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デジタル大辞泉 「八日市」の意味・読み・例文・類語

ようかいち〔やうかいち〕【八日市】

滋賀県南東部にあった市。古くから市場町として発展した。近江牛真田紐さなだひもを特産。平成17年(2005)に周辺4町と合併して東近江市となった。→東近江

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日本歴史地名大系 「八日市」の解説

八日市
ようかいち

神崎・蒲生がもう両郡境に形成された古代以来の市場。八日市庭と称されることもあった。起源については聖徳太子の開設と伝え、また天智天皇四年(六六五)四月に創立された「大脇市」に起源を求める伝承などがある(「市神之本紀」市神神社蔵)。名称は毎月八の日に市が立つことにちなむなどといわれる。鎌倉時代以降、湖東の主要な定期市として発展した。この地は郡境にあたるだけでなく、蒲生野という「野」の世界と神崎郡側の条里水田農村の世界との接点にあたるとともに、蒲生郡得珍とくちん保・小脇おわき郷、神崎郡かき御園・建部たけべ庄のいずれにも属さぬような位置にあった。いわゆる「無縁」の地といわれる境域が交易・商いの場となる例は多く、当市の位置もこの「無縁」の地に相当すると考えられる(八日市市史)。「源平盛衰記」巻一九(佐々木取馬下向事)には、治承四年(一一八〇)のこととして、野洲やすの河原で栗太くりた郡の紀介という男が馬を牽いて「蒲生郡小脇の八日市」に行くのをみかけた佐々木四郎高綱が、紀介を殺してその馬を奪う逸話がある。鎌倉時代の小脇郷には守護佐々木氏の居館が営まれ、また東山道の蒲生野宿が位置するなど、蒲生郡の中核地域であったと考えられる。八日市庭の前身に小脇市庭を想定する考え方もあり(蒲生郡志)、その位置を近世の小脇郷宿しゆく村の北東にあった蛭子えびす神社跡付近とする説がある。同社が夷(市神)を祀っていたことからも、商業活動と深い関係を想定することができる。同地で毎月定期的に開かれた市場に小脇の地名が冠され、「小脇の八日市」と称されたとも推定できる。

応安四年(一三七一)閏三月二四日、頼宗は「得珍保八日市庭元源次郎名」にある畠地を今堀十禅師いまぼりじゆうぜんじ(現日吉神社)に沽却した(「頼宗畠売券」今堀日吉神社文書)。永享一〇年(一四三八)一〇月三日に盛珍が蔵林坊に売却した菜畠の所在地も「得珍保内八日市南在之」と記され(「盛珍菜畠売券」同文書)、この得珍保内八日市庭は保内金屋かなや郷をさすと考えられている(八日市市史)

八日市
ようかいち

戦国期から史料にみえる地名。弘治三年(一五五七)一一月二七日の北条家朱印状(西蓮寺文書)に 「八日市場西蓮寺」とあり、中世に横河よこかわ郷・由井ゆい郷に設けられた定期市を起源とするという。現四谷よつや町・諏訪すわ町付近で開かれたものと思われるが、この地は安下あんげを通って甲斐へと抜ける交通の要所であった。永禄一二年(一五六九)頃甲斐の武田信玄の武蔵侵入に備えた北条氏康は家臣富永政家に「由井・八日市」への出陣を命じて甲武国境の警戒を強めており(五月八日「北条氏康書状」森潔氏所蔵文書)、八日市の重要性をうかがうことができる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「八日市」の意味・わかりやすい解説

八日市
ようかいち

滋賀県中東部、湖東地方にあった旧市名。現在は東近江市(ひがしおうみし)の西部を占める地域。旧八日市市は、1954年(昭和29)神崎(かんざき)郡八日市町と御園(みその)、建部の2村、蒲生(がもう)郡平田、市辺(いちのべ)、玉緒(たまお)の3村が合併して市制施行。2005年(平成17)神崎郡永源寺(えいげんじ)、五個荘(ごかしょう)、愛知(えち)郡愛東(あいとう)、湖東(ことう)の4町と合併して東近江市となった。地域の大部分は愛知川の旧流路によって形成された標高約130メートルの平地であるが、南部は布引山系、西部は箕作(みつくり)山系の丘陵である。近江鉄道(おうみてつどう)本線、同八日市線、国道307号、421号、名神高速道路が通じ、八日市インターチェンジがある。後期古墳の存在によってこの地の開発の古さがわかるが、古代には荘園(しょうえん)も置かれた。蒲生野は遊猟の地で、額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)の贈答歌(万葉集)の舞台として知られる。中心の八日市は、御代参(ごだいさん)街道から鈴鹿(すずか)越えで伊勢(いせ)に通じる八風街道(はっぷうかいどう)が分岐する交通の要地で、早くから商業が発達し、中世には定期市(いち)が開かれた。小脇(おわき)町の蛭子(えびす)神社跡は市神が祀(まつ)られていたと考えられる。現在も市街地の商店街は周辺に広い商圏を有している。洪積台地の蒲生野は、中世末以降の新田開発、明治以後は軍用地、第二次世界大戦後の農地開拓と時代によって景観を変えてきたが、現在では工場立地や住宅開発が顕著である。布施神社本殿、興福寺(こうふくじ)の木造大日如来坐像(だいにちにょらいざぞう)、木造聖観音(しょうかんのん)立像、慈眼寺の銅造聖観音立像など国指定重要文化財も多い。1989年(平成1)雪野山古墳から三角縁神獣鏡など多数の出土品が発掘された。赤神山にある阿賀神社(太郎坊宮)は勝運授福の神として参拝客が多く訪れる。また、八日市の大凧(たこ)は国の選択無形民俗文化財で、5月には「大凧まつり」が行われる。

高橋誠一

『『八日市市史』全6巻(1983~1989・八日市市)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八日市」の意味・わかりやすい解説

八日市
ようかいち

滋賀県南東部,東近江市西部の旧市域。愛知川中流左岸にある。 1954年3月八日市町,中野村が合体。さらに8月には平田村,市辺村,玉緒村,御園村,建部村の5村が合体し市制。 2005年永源寺町,五個荘町,愛東町,湖東町の4町と合体して東近江市となった。中心市街地の八日市は湖東内陸部の中心に位置し,御代参街道八風街道の交点にあたり,古くから市場町として発展。大正期は軍隊の町となったが,近年は旧陸軍飛行場のあった沖野ヶ原を中心に電子部品,電機,塩化ビニルなどの工場が立地。伝統工業に西陣織の帯地生産がある。付近は古代から蒲生野と呼ばれる原野で,養蚕,タバコの栽培が盛んであった。米,野菜が生産される。瓦屋寺,布施神社,太郎坊宮 (阿賀神社) など有名社寺も多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「八日市」の意味・わかりやすい解説

八日市 (ようかいち)

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世界大百科事典(旧版)内の八日市の言及

【滋賀[県]】より

… 大正中ごろから昭和初期に,豊富な工業用水を求めて,レーヨンなどの繊維工場が大津,彦根,長浜などの琵琶湖岸に立地したが,第2次大戦前までは,滋賀県はまだ農業県の性格が強かった。1964年の名神高速道路の開通を契機として,栗東(りつとう),八日市,彦根の各インターチェンジ付近や国道1号,8号線沿いに,電気機械器具,一般機械器具,輸送用機械器具,化学工業などの非用水型の工場立地が活発になり,滋賀県は農業県から工業県へ急速に変貌した。このような工業化の背景として,1960年代の道路交通体系の整備とほぼ前後して,湖南工業団地(29ha,立地企業49社)をはじめとする多数の工業団地が県内各地に造成されたことも無視できない。…

※「八日市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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