八板金兵衛(読み)やいたきんべえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八板金兵衛」の意味・わかりやすい解説

八板金兵衛
やいたきんべえ
(?―1570)

戦国時代の刀工種子島(たねがしま)鉄砲鍛冶(かじ)。姓は矢板とも書く。名は清定美濃(みの)国(岐阜県)関に生まれ、種子島に来住した。1543年(天文12)ポルトガル船が種子島に来航し鉄砲を初めて日本に伝えたが、領主種子島時堯(ときたか)は、火薬製法家臣の篠川小四郎に、鉄砲製作を八板金兵衛に命じた。鉄砲の筒は巻いてつくることができたが、底をふさぐ方法がわからなかった。翌年、外国船が来航、このときねじの方法を知り鉄砲を製作した。子孫明和(めいわ)年間(1764~72)に2家に分かれたが、鉄砲鍛冶として続いた。

[菊池俊彦]

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朝日日本歴史人物事典 「八板金兵衛」の解説

八板金兵衛

没年:元亀1.9.8(1570.10.7)
生年:生年不詳
室町後期の鉄砲鍛冶。日本最初の鉄砲製作者。名は清定。大隅国(鹿児島県)種子島の鍛冶で,天文12(1543)年,島主の種子島時尭の命によってポルトガル人が伝えた火縄銃を彷製した。日本人は,このとき初めて鉄のパイプを造る技術とねじの作用についての知識を得たのである。しかし,ねじの製作法がわからず,その秘密を得るため娘若狭をポルトガル人に与えたという伝説は,苦心談にまつわる親孝行話のひとつに過ぎず,不当にも日本人の技術力を低く評価する結果になった。

(所荘吉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八板金兵衛」の解説

八板金兵衛 やいた-きんべえ

?-1570 戦国時代の刀工,鉄砲鍛冶(かじ)。
八板若狭の父。天文(てんぶん)12年ポルトガル船が大隅(おおすみ)(鹿児島県)種子島(たねがしま)に漂着し鉄砲がはじめて日本につたえられたとき,領主種子島時尭(ときたか)から鉄砲の製作を命じられる。翌年入港した外国船の鉄砲鍛冶に,銃身とその底をふさぐねじのつくり方をおそわり製作に成功。元亀(げんき)元年9月8日死去。美濃(みの)(岐阜県)出身。名は清定。姓は矢板ともかく。

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