六十里越(読み)ろくじゆうりごえ

日本歴史地名大系 「六十里越」の解説

六十里越
ろくじゆうりごえ

近世の田子倉たごくら村と越後国大白川おおしらかわ新田(現新潟県入広瀬村)を結ぶ山路で、おにつら(一四六五メートル)前毛猛まえけもう(一二三四メートル)の鞍部(標高およそ八六三メートル)を越える。峠の頂上田子倉村より約一〇キロ、大白川新田まで約一四キロ。古く浅草あさくさ(朝草山)の近くを越えるので朝草峠とも称した。「会津風土記」に「田子倉至朝草峠十二里余、謂之六十里越」とあり、越後国長岡へ通じていた。

六十里越
ろくじゆうりごえ

福島県南会津郡只見ただみ町境にある。八十里越はちじゆうりごえ南方に位置する。浅草あさくさ(一五八五・五メートル)の南の鞍部を越えて只見川上流田子倉たごくら(現只見町)に抜ける間道八十里越と同様に古くからの踏分道として発達した会津道。道程は三国街道(現国道一七号)堀之内ほりのうち宿(現堀之内町)あるいは小出島こいでじま(現小出町)から破間あぶるま川流域の広瀬郷の谷をさかのぼり、上流の平石ひらいし川の谷の大白川おおしらかわ関所宿を経て、六十里越で只見川上流峡谷の難所を一気に田子倉宿に下る全長六里の行程で、南山御蔵入みなみやまおくらいり郷への近道であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「六十里越」の意味・わかりやすい解説

六十里越 (ろくじゅうりごえ)

山形県中央部,出羽丘陵朝日山地の間を大越(913m)で越え,山形市と鶴岡市を結ぶ街道。名称は,本道寺から大網までが,6町1里として数えて60里あったことに由来するといわれる。江戸時代には出羽三山行者の参詣道として利用され,道筋に白岩,本道寺,志津,田麦俣,大網,七五三掛(しめかけ)などの集落があった。いまは内陸村山地方庄内地方を結ぶ幹線道路国道112号線)として整備され,月山新道とも呼ばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六十里越」の意味・わかりやすい解説

六十里越
ろくじゅうりごえ

福島県と新潟県の境,越後山脈を越える峠。標高 863m。地名は福島県只見町田子倉から新潟県魚沼市大白川まで,6町 (約 650m) を1里と計算して 60里の道程があることによる。八十里越とともに古くから難所とされたが,現在はトンネルで国道 252号線と JR只見線が通る。越後三山只見国定公園に含まれる。

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