六地蔵(読み)ろくじぞう

精選版 日本国語大辞典 「六地蔵」の意味・読み・例文・類語

ろく‐じぞう ‥ヂザウ【六地蔵】

[1]
[一] 仏語。六道のそれぞれにあって、衆生の苦悩を救済するという六種の地蔵菩薩。すなわち、檀陀・宝珠・宝印・持地・除蓋障・日光菩薩の総称。ただし、典籍によって名称は異なる。
今昔(1120頃か)一七「小僧の宣はく、我等をば六地蔵と云ふ。六道の衆生の為に、六種の形を現ぜり」
[二] 京都市伏見区桃山町西町にある浄土宗の寺、大善寺の通称。境内地蔵堂に等身の石地蔵立像を安置する。もとは六体あったものか。小野篁(おののたかむら)冥土生身の地蔵菩薩を拝し、娑婆に帰って一木で六体の地蔵尊像を刻み、ここに安置したと伝える。また、大善寺付近の地名。京都市と宇治市とにまたがる。
※仮名草子・浮世物語(1665頃)二「六地蔵を伏し拝み、京橋に到り」
[三] 狂言。大蔵・和泉流。いなか者が六地蔵を求めに都へ行く。都の詐欺師が仏師になりすまして六地蔵を作ることを約束し、仲間三人を地蔵に仕立てる。残りの三体は別の場所にあるといってその三人が先まわりしてごまかすが、結局露見する。
[2] 〘名〙
① ((一)(一)の信仰から) 寺、路傍、墓地などにまつられた六体の地蔵尊像。また、その地蔵堂。
※雑俳・さざれ石(1730)「ならべたり・対の笠着る六地蔵」
② 六か所の寺や堂に安置された地蔵尊。また、各所の地蔵尊のうちから特に六か所を選んだもの。
(イ) 京都で地蔵巡りが行なわれる六か所の地蔵尊。時代によってちがいがあるが、一七世紀半ばごろ、一番御菩薩池(みぞろがいけ)(=現在の上賀茂深泥池のこと。地蔵尊はのち寺町鞍馬口上善寺に移る)、二番山科四ノ宮徳林庵、三番伏見六地蔵大善寺、四番上鳥羽浄禅寺、五番桂地蔵堂、六番常盤源光寺に固定し、今日に至っている。→六地蔵巡り
※伯家五代記‐資益王記・文明一四年(1482)七月二四日「遙拝、参六地蔵、〈西院、壬生、八田、屋禰葺、清和院、正親町西洞院〉」
(ロ) 江戸では、品川の品川寺、四谷の太宗寺、巣鴨の真性寺、浅草の東禅寺、深川の霊巖寺・永代寺の六寺をいう。宝永年間(一七〇四‐一一)に地蔵坊正元の勧進により建立されたが、八百屋お七の冥福のために、吉三が建てたという俗説がある。
江戸砂子(1732)三「医王寺真性寺 御室末〈略〉地蔵坊正元法師建立唐銅六地蔵の三番目也」
③ 六種の地蔵を石灯籠などに彫ったもの。江戸浅草寺の裏門を出た所に建てられた、高さ六尺(約一・八メートル)ほどの六角形の石灯籠が著名。
※雑俳・柳多留‐一〇四(1828)「六地蔵真棒さすとお花独楽」

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デジタル大辞泉 「六地蔵」の意味・読み・例文・類語

ろく‐じぞう〔‐ヂザウ〕【六地蔵】

仏語。六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩ぼさつ地獄道檀陀だんだ餓鬼道宝珠ほうじゅ畜生道の宝印、修羅道持地じじ人間道除蓋障じょがいしょう、天道の日光の各地蔵菩薩とするが、異説もある。

ろくじぞう【六地蔵】[狂言]

狂言。詐欺師が六地蔵を求める田舎者をだまそうと偽仏師となり、三人の仲間を地蔵に仕立て、居所を変えて六体に見せかけるが見破られる。

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日本歴史地名大系 「六地蔵」の解説

六地蔵
ろくじぞう

[現在地名]鎌倉市由比ガ浜一丁目

由比ゆいはま通とおうぎやつから南下する道(今小路・武蔵大路)とが交わる西方一帯をいう。交差する角に六体の石造地蔵を祀ることに由来する。昔、この辺りは処刑場であったといい、「鎌倉志」は今も罪人をさらし、斬戮する地であり、そのために耕作もせず、飢渇畠けかちばたけと名付くと伝える。そこで処刑された罪人、および刑場跡(飢渇畠)を供養するために六地蔵が安置されたと伝承する。この付近を別に「芭蕉の辻」ともいい、芭蕉の有名な「夏草やつはものどもが夢の跡」の句碑があるのに由来する。句碑は天明六年(一七八六)五月、雪下ゆきのしたに住んでいた松尾百遊(滝右衛門)が、芭蕉の没後九二年目に芭蕉を偲んで建てたものである。

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改訂新版 世界大百科事典 「六地蔵」の意味・わかりやすい解説

六地蔵 (ろくじぞう)

六道のそれぞれにあって衆生を救済するという6体の地蔵菩薩。六地蔵の信仰は,中国などには先例がなく,六道思想の発達に刺激されて日本で形成されたものである。六地蔵の始源には諸説あるが,11世紀中ごろの実睿(じつえい)撰《地蔵菩薩霊験記》のなかで,〈六道の衆生のために六種の形を現せり〉として各尊の持物や印を説明しているのが,六地蔵に関する最初の具体的記述である。12世紀になると,往生伝や貴族の日記に,六地蔵の記載が散見し,また中尊寺など六地蔵を安置する寺院も現れる。しかし依拠すべき経典儀軌がないため,各尊の形像や名称は一定しなかったようで,鎌倉時代の図像集である《覚禅鈔》や《白宝口抄(びやくほうくしよう)》は,さまざまな種類の六地蔵をあげている。《源平盛衰記》は,西光法師が京都に入る七道の辻ごとに六地蔵を安置したという話を記しているが,盆の7月24日に六地蔵を回るいわゆる六地蔵詣は,京都では15世紀末ころからはじまった(地蔵盆)。さらに江戸時代初期の17世紀になると,賀茂深泥(みぞろ)池(のち出雲路の上善寺に移る),山科四宮の徳林庵,伏見六地蔵の大善寺,上鳥羽の浄禅寺,桂の地蔵堂,常盤(ときわ)の源光寺の6ヵ所の地蔵を回る〈山州洛外六地蔵詣〉が盛んになった。後にはこれにならって,比叡山東坂本,高野山,大坂,江戸など各地でも六地蔵詣が始まり,その巡礼歌や縁起も作られた。これら有名な六地蔵とは別に,路傍や町の辻に安置された石像の六地蔵は各地にみられ,民間における地蔵信仰(地蔵)の広まりを示している。
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六地蔵 (ろくじぞう)

狂言の曲名。出家狂言。大蔵,和泉両流にある。ある田舎者が新築の地蔵堂に六地蔵を安置しようと,都へ仏師を探しに行く。これを知った都のすっぱが田舎者に,自分は安阿弥の流れをくむ真仏師(まぶつし)だと偽り,一昼夜で因幡薬師の仏堂のそばに六地蔵を作っておこうと約束する。すっぱは仲間2人と語らい,約束の刻限に3人で乙(おと)の面をつけ,3体の地蔵をよそおって仏堂のそばに立っている。地蔵を受取りにきた田舎者が,もう3体はと問うと,すっぱは脇堂にあると答え,田舎者に先回りして,3人で指定の印相をして立っている。その姿が気にいらない田舎者が,何度も印相を変えさせて仏堂と脇堂を往復するので,すっぱたちもあわてて右往左往するうちに,化けの皮がはがれてしまう。登場は田舎者,すっぱ甲,すっぱ乙,すっぱ丙の4人で,すっぱ甲がシテ。以上は大蔵流の筋立てだが,和泉流ではすっぱは仏師をよそおうだけで,別に仲間3人が地蔵に化け,その仮面も乙とはかぎらず賢徳(けんとく)などがまじる。類曲に《仏師》がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六地蔵」の意味・わかりやすい解説

六地蔵
ろくじぞう

地蔵菩薩の6分身をいう。生前の行為の善悪のいかんによって,人は死後に,地獄,畜生,餓鬼,修羅,人,天という六道の境涯を輪廻,転生するといわれるが,そのそれぞれに,衆生救済のために配される檀陀,宝印,宝珠,持地,除蓋障,日光の6地蔵をいう。

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