共和人民党(トルコ)(読み)きょうわじんみんとう

世界大百科事典(旧版)内の共和人民党(トルコ)の言及

【トルコ革命】より

… 革命を導いたイデオロギーは,オスマン帝国時代のオスマン主義パン・イスラム主義トゥラン主義を清算してアナトリアに住むトルコ人の救済を目的とした,地縁的なトルコ民族主義に求められた。しかし革命に参加した人々の多くは,これをイスラムの宗教運動としてとらえていたために,解放達成後,保守的なウラマー(宗教指導者・学者),知識人,軍人が,ケマル・アタチュルクを党首とする人民党(1923年9月創立,24年11月共和人民党と改称)と対立してカリフ制擁護を主張すると,人民党による改革は,いっそう非宗教的傾向を強めた。祖国解放運動の軍事的側面は青年将校,職業軍人が指導したが,運動の経済的・社会的組織化には,ウラマー,地主,民族資本家が大きな役割を果たした。…

【トルコ共和国】より

…〈内に平和を,外に平和を〉のスローガンを外交政策の基本としたトルコは,第2次世界大戦中ほぼ中立を維持し,戦後はNATOに加盟して西側陣営にとどまった。
[第2次大戦後]
 第1次大戦後のケマル・アタチュルクの率いるトルコ革命によってオスマン帝国にかわりトルコ共和国が成立(1923),以後第2次世界大戦まで,トルコは初代大統領ケマル・アタチュルクの創設した共和人民党Cumhuriyet Halk Partisi(1923創設)による一党独裁制をとってきた。第2次大戦後,民主主義の世界的風潮の中で,1946年以降複数政党制に移行した。…

※「共和人民党(トルコ)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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