出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
中国の最初の紀年。《史記》周本紀によれば西周の後期,周の厲(れい)王が山川の利を王室の専有とし,また言論に弾圧を加えたりしたことから人々の不満がつのり,蜂起した国人(こくじん)(貴族の一部と都市市民)によって王は国都の宗周を追われた。その後の空位の14年間に,宰相の召公と周公とが共同して政治にあたった。この時期を共和という。共和元年は前841年にあたる。ただ《古本竹書紀年》などは,〈共〉国の伯爵の〈和〉という人物が,諸侯たちの奉戴を受け天子のつとめを代行したのだという。《史記》十二諸侯年表に見えるように,この共和の時期から,中国の歴史は正確な紀年をもつ時代に入る。
執筆者:小南 一郎 ところでrepublic(共和制)の訳語に,〈共和〉をあてたのは,幕末において知識人の世界知識の蒙を啓(ひら)くのに大きな役割を果たした箕作(みつくり)省吾の《坤輿図識》(1845)が最初である。彼はこの語の訳に苦しみ,大槻磐渓に問うたところ,上述のごとき古事にちなみ,〈共和政治〉がよろしかろうと教えられた。しかし〈共和〉がすぐに定着したのではなく,この前後には〈共治国〉(渡辺崋山《西洋事情御答書》1839),〈合衆議定〉(杉田玄瑞《地学正宗》1851),〈万民共治〉(加藤弘之《立憲政体略》1868)など多様な訳語が用いられていた。〈共和〉の用例がふえるのは1860年に入ってからで,福沢諭吉のベストセラー《西洋事情》(1866)あたりで,ほぼ定着したといえよう。
執筆者:寺尾 方孝
北海道南西部,後志(しりべし)支庁岩内(いわない)郡の町。人口6428(2010)。1955年前田,小沢,発足(はつたり)の3村が合体して共和村となり,71年町制。町域は西の一部が日本海に面し,岩内平野の主要部,後志山地の南西斜面,ニセコ火山群の北斜面を含んでいる。1857年(安政4)幕府は官費をもって開拓試験地(御手作場(おてさくば))を発足などに設けた。83年には旧金沢藩主前田家の興した起業社による入植が前田に行われ,以後集団移住により開拓が進んだ。90年からは国富鉱山による粗銅製錬が始まった。農業が主産業で,北海道としては水稲収量の安定度が高く,良質米産地に数えられる。スイカ,メロンなどの農産品も出荷され,ワイスホルンのスキー場,景勝地神仙沼がある。JR函館本線が通る。
執筆者:岡本 次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
中国、青海(せいかい)省東部の県。県政府はチャブチャ鎮にあり、海南(かいなん)チベット族自治州の政府所在地でもある。常住人口12万2966(2010)。青蔵自動車道(西寧(せいねい)―ラサ)、青康自動車道(西寧―康定(こうてい))が通る。青海湖の南、日月山(じつげつさん)西方の牧畜区の中心で、食肉加工、皮革、羊毛加工工場などがあり、畜産品の製造、交易が盛んである。水力発電、風力発電が県の重要な産業となっている。
[駒井正一・編集部 2017年4月18日]
敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...
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