内徳館(読み)ないとくかん

世界大百科事典(旧版)内の内徳館の言及

【伊予国】より

…宇和島藩主伊達宗紀(むねただ)は藩士2人を佐藤信淵に入門させ,天保期以降,殖産興業政策を展開した。藩学は大洲藩の止善書院明倫堂(1747),宇和島藩の内徳館(1748,のち敷教館,明倫館,明誠館),新谷藩の求道軒(1783),吉田藩の時観堂(1794),小松藩の培達校(1802,のち養生館),松山藩の興徳館(1805,のち明教館),今治藩の講書場(1805,のち克明館),西条藩の撰善堂(1805)がある。学者としては,日本陽明学の祖中江藤樹は大洲藩に仕えて大きな影響を残し,その学派に川田雄琴がある。…

※「内徳館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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