内閣(中国)(読み)ないかく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「内閣(中国)」の意味・わかりやすい解説

内閣(中国)
ないかく

中国、明(みん)・清(しん)代の政治機関。中央行政政府の最高責任者の大臣を、中国では古来宰相と称し、正式の官名は時代によって異なり、丞相(じょうしょう)、司徒、相国、同平章事などとよばれた。内閣という行政府の成立は明初(1424ころ)に始まり、複数の内閣大学士が宰相の役を務めた。清はこの制度を受け継ぎ、内閣を宰相の府としたが、もと満州より興って漢人を征服したので、中央政府の大官には満人・漢人を同数ずつ任命する原則をたて、内閣大学士は満漢各2名、ほかに副宰相として満漢各1名を置いた。そのおもな職務は擬旨であって、天子の旨、すなわち意志を表明する詔勅草案を起稿することにあった。しかし、内閣は機構複雑で政務が停滞遅延する傾向があったため、雍正(ようせい)帝(在位1722~35)のときから内閣を有名無実とし、かわって軍機処(ぐんきしょ)の大臣が真の宰相となった。1911年軍機処を廃して創立された新制内閣は、単に名称の変更にすぎず、総理大臣皇族であり、各部大臣も旧人物で固めたので親貴内閣と非難された。同年、革命運動のさなかに袁世凱(えんせいがい)が総理大臣となり、初めて責任内閣の形をとった。翌年中華民国が成立すると、内閣総理大臣は国務総理、各部大臣は各部総長と改称された。

宮崎市定

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百科事典マイペディア 「内閣(中国)」の意味・わかりやすい解説

内閣(中国)【ないかく】

中国,明〜清代の中央政治機関。明の洪武帝親政補佐のために殿閣(でんかく)大学士を設置したのに始まる。のち内閣大学士と改称。本来行政権はないが明末には権力が増大した。清は太宗(たいそう)が内三院を設置。康煕(こうき)帝以後内閣と改めた。雍正(ようせい)帝軍機処設置(1729年)以後は有名無実化したが,清末宣統帝(溥儀(ふぎ))時代に近代的な責任内閣制に脱皮。

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