デジタル大辞泉
「内院」の意味・読み・例文・類語
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ない‐いん ‥ヰン【内院】
[1] 伊勢神宮の斎宮寮の三院の一つ。
斎内親王の常の御座所。
[2] 〘名〙
① 神社の
瑞垣(みずがき)の内部。伊勢神宮では内外宮ともに、
正殿および
東西宝殿を含む神域をさす。
※神宮雑例集(1202‐10頃)「雞鳴参二拝内院一」
②
兜率天(とそつてん)の中にある、
彌勒菩薩(みろくぼさつ)がいて法を説いている所。
四十九院があるといわれる。
※延宝版宇津保(970‐999頃)俊蔭「我は、昔とそつ
てんの内ゐんの
衆生なり」
※続日本紀‐慶雲三年(706)正月壬辰「一箭中二外院一布二十端、中院二十五端、内院三十端」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
内院
ないいん
中世よりみえる地名で、与良郡のうち。酘豆内院の奈伊良神社(内院小学校裏地)の参道脇に南北朝期の宝篋印塔(二・五メートル、県指定史跡)が建つ。天道法師の墓とも、安徳天皇陵墓とも伝承される。また近くの山薬師堂跡(内院小学校前地)の古墓地にある五輪塔一三基分のうち応安七年(一三七四)銘の五輪塔(八六センチ)に寿徳善尼と刻まれる。永享一〇年(一四三八)五月二〇日の宗貞盛書下(酘豆郡宗家判物写)に「ないの河」とみえ、天道山(神山)を管理する酘豆寺の住持円知房に宛行われた酘豆郡木庭の境のうち東は当地の河を境としていた。内院村が川を境に東西に分れ、東を与良内院、西を豆酘内院とした仕来りは中世以来であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報