円爾弁円(読み)えんに・べんねん

朝日日本歴史人物事典 「円爾弁円」の解説

円爾弁円

没年:弘安3.10.17(1280.11.10)
生年:建仁2.10.15(1202.11.1)
鎌倉時代の禅僧,臨済宗聖一派派祖。諡号は聖一国師。駿河国(静岡県)に生まれ,5歳のときに久能山に入る。はじめ教典,外典の研鑽に努めるが,22歳になって禅門を志し,上野長楽寺に臨済宗の栄朝を訪ねた。嘉禎1(1235)年4月,34歳で入宋。臨済宗大慧派の無準師範に7年間参学,その法を嗣いだ。しかし,伝記資料がいずれも,そのときの大悟の機縁を記録していないのは,円爾の経歴上,第一の不思議である。帰国後は九州を中心に活動を行っていたが,寛元1(1243)年,九条道家の篤い帰依を得て,道家が京都に建立した東福寺開山第1世となる。ちなみに東福寺の寺号は,東大寺と興福寺から1字を取り,その規模の壮大さを示したものである。入院後は,後嵯峨,亀山両上皇へ授戒を行い,また東大寺,天王寺の幹事職を勤めるなど,朝廷,幕府あるいは旧仏教とも積極的にかかわりを持った。同時に学僧の指導にも努め,東山湛照,白雲慧暁,無関玄悟など,のちの五山禅林の発展に大きく影響を与える弟子を輩出した。この門流を聖一派と呼んでいる。学風は,智慧弁才に秀でた円爾ならではの,客観性,包容性に富んだものであったといわれる。79歳の秋,東福寺において遷化,常楽庵に葬られた。直筆の遺偈(末期の漢詩)が東福寺に現存する。また頂相(肖像画)としては南禅寺天授庵に所蔵されるものが有名。<参考文献>『聖一国師年譜』,『元亨釈書』7巻,玉村竹二『臨済宗史』,船岡誠『日本禅宗の成立』,古田紹欽『日本禅宗史の諸問題』

(石井清純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「円爾弁円」の意味・わかりやすい解説

円爾弁円
えんにべんえん

[生]建仁2(1202).10.15. 駿河
[没]弘安3(1280).10.17. 京都
鎌倉時代の臨済宗の僧。初め円爾房といい,のち円爾を実名とした。弁円は字。5歳で久能山の堯弁の室に入り,次いで三井寺で天台を学び,東大寺で受戒,さらに上野世良田の長楽寺の栄朝,鎌倉寿福寺の行勇について禅を修めた。嘉禎1 (1235) 年入宋,無準師範 (むじゅんしはん) の法を継いで仁治2 (41) 年帰国し,横岳の崇福寺,博多の承天寺などの開山となった。やがて摂政九条道家に招かれて東福寺開山となり,建長6 (54) 年鎌倉に下って北条時頼の帰依を受け,正嘉1 (57) 年には後嵯峨上皇に,次いで亀山天皇,後深草上皇に授戒するなど,禅宗を鎌倉幕府,朝廷に広めた。没後,応長1 (1311) 年花園天皇から聖一国師の勅諡号を受けた。その法流を聖一派という。

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