冨田勲(読み)とみたいさお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「冨田勲」の意味・わかりやすい解説

冨田勲
とみたいさお
(1932―2016)

作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者。東京生まれ。1955年(昭和30)慶応義塾大学文学部美学美術史専攻を卒業。作曲を平尾貴四男(きしお)(1907―1953)、小船幸次郎(こぶねこうじろう)(1907―1982)に師事。1961年より『花の生涯』『天と地と』『新日本紀行』などのテレビドラマやドキュメンタリー番組の音楽を手がける。1966年(昭和41)にはテレビアニメの『ジャングル大帝』『リボンの騎士』の音楽を担当し、高い人気をよんだ。1974年テレビ文化の向上に貢献したとしてテレビ大賞を受賞。1970年代よりシンセサイザーによる作・編曲、演奏に着手。ドビュッシーの曲をシンセサイザーで編曲したアルバム『月の光』Snowflakes are dancing(1974)で世界的ヒットを記録し、全米レコード販売者協会(NARM)のクラシック部門最優秀クラシカル・レコードに選出される。以降、『展覧会の絵』『火の鳥』(1975)、『惑星』(1976)などヒット作を発表、シンセサイザー音楽の第一人者として知られる。1975年アメリカビルボード』誌よりベスト・クラシカル・アーティスト賞、1979年にはアメリカ『コンテンポラリーキーボード』誌よりベスト・スタジオ・シンセシスト賞を受賞。シンセサイザーやレーザー光などを駆使した大規模な音響イベントを世界各地で開き、1982年および1984年にアルス・エレクトロニカ音楽祭(オーストリア)、1986年に自由の女神100年祭(アメリカ)に参加するなど、テクノロジー・アート第一線で活躍した。演奏会用作品に『源氏物語幻想交響絵巻』(2001)などがある。1975年(昭和50)日本レコード大賞企画賞、2001年(平成13)放送文化賞を受賞。

[楢崎洋子]

『赤川次郎著『同時代を語る――11のカルチュア対話』(1987・岩波書店)』『冨田勲・細野晴臣他著『ムーグ・ノイマン・バッハ』(1988・日本ソフトバンク)』『VANDA編『ソフト・ロックin JAPAN』(2001・音楽之友社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「冨田勲」の意味・わかりやすい解説

冨田勲
とみたいさお

[生]1932.4.22. 東京
[没]2016.5.5. 東京,渋谷
音楽家,作曲家。日本の電子音楽の父と呼ばれる。クラシックの名曲に斬新な解釈を加え,独特の音楽をつくりだした。第2次世界大戦後,西洋音楽に出会い魅了された冨田は,慶應義塾大学美学美術史を学ぶかたわら音楽理論や作曲を学び,映画やテレビ番組のための作曲を始めた。1955年同大学卒業。1956年メルボルン・オリンピック競技大会に参加した日本体操選手団のための伴奏音楽や,テレビアニメーション『ジャングル大帝』(1965~66)の音楽を作曲。のちにアメリカ合衆国シンセサイザ奏者で作曲家のウォルター・カルロス(のちにウェンディ・カルロス)に触発され,1971年にモーグ・シンセサイザを購入してスタジオを創設。シンセサイザ音楽家としてのデビューアルバム『月の光』(1974)は,アメリカのビルボード200にランク入りし,グラミー賞クラシック部門にノミネートされた。続いて『展覧会の絵』(1975),『火の鳥』(1975),イギリスの作曲家グスタブ・ホルストの作品を編曲した『惑星』(1976)などを発表。音楽と映像を融合させたマルチメディア・コンサートも多数手がけた。1988年オーストラリア建国 200年記念祭での演奏や,バーチャル・シンガー(→バーチャル・リアリティ)の初音ミクが独唱する『イーハトーヴ交響曲』(2012)も知られる。1966年芸術祭奨励賞,2011年朝日賞,2015年国際交流基金賞など受賞多数。

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知恵蔵mini 「冨田勲」の解説

冨田勲

シンセサイザーを使った電子音楽の第一人者で、世界的に知られた音響作家・作編曲家・シンセサイザー奏者。1932年東京都出身。慶応大在学中、朝日新聞社主催の合唱コンクール課題曲に応募し1位となったことがきっかけで作曲の道へと進み、NHKの「きょうの料理」「新日本紀行」や大河ドラマ第1作である「花の生涯」などの音楽を担当する。テレビアニメ「ジャングル大帝」「リボンの騎士」の音楽も手掛け注目された。71年に渡米して、米国で開発されたばかりのモーグ・シンセサイザーを日本に紹介し、本格的な電子音楽の文化を広めた。74年には日本人では初めて米グラミー賞にノミネートされ、その後もたびたび候補になり、世界的な電子音楽制作者の地位を確立した。2003年には映画「たそがれ清兵衛」で日本アカデミー賞最優秀音楽賞。12年に宮沢賢治に着想を得た「イーハトーヴ交響曲」を発表する。15年度、国際交流基金賞受賞。2016年5月2日、慢性心不全のため東京都内の病院で死亡。享年84。

(2016-5-10)

冨田勲

作曲家、編曲家、シンセサイザー奏者。1932年4月22日、東京都杉並区生まれ。幼少時を中国北京で過ごし、39年帰国。慶應義塾高等学校時代より作曲を始め、慶應義塾大学文学部在学中よりテレビ番組や映画などの音楽を手がけた。71年、アナログシンセサイザーを購入し、74年にシンセサイザーを用いたデビューアルバム「月の光」(US盤の名称は「Snowflakes Are Dancing」)を発表。日本人で初めてグラミー賞ノミネート(4部門)を果たした。立て続けに、クラシック音楽をシンセサイザーで編曲・演奏した「展覧会の絵」「惑星」をリリースし、米ビルボード誌のクラシカルアルバムチャート3連続第1位を達成。アルバムは、96年の「バッハ・ファンタジー」に至るまで世界的ヒットを記録している。その後も、国内外を問わず、壮大なスケールの音楽イベントを開催するなど、シンセサイザーを中心としたミュージックシーンをリードし続けている。

(2013-2-6)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「冨田勲」の解説

冨田勲 とみた-いさお

1932- 昭和後期-平成時代の作曲家,編曲家。
昭和7年4月22日生まれ。独学でシンセサイザーによる作曲を手がける。クラシックの名曲をシンセサイザーで編曲。昭和49年「月の光」(ドビュッシー作曲)がアメリカでクラシック部門のベストセラーとなるなど,シンセサイザー音楽の普及に貢献。NHK大河ドラマのテーマ音楽,映画音楽も手がける。平成11年メディア・アーティスト協会創設に参加。24年朝日賞。東京出身。慶大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の冨田勲の言及

【シンセサイザー】より

…68年にカーロスWalter Carlosがこれを用いてバッハの音楽を合成したLPレコードは新しい音の世界の到来を示し注目された。続いて日本の冨田勲(1932‐)がドビュッシーの曲による合成音楽を作り,シンセサイザーの音は急速に世に広まった。最近では集積回路の出現により装置の改良とコストダウンが進み,小型化,機能の複雑化が見られる。…

※「冨田勲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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