函館八幡宮(読み)ハコダテハチマングウ

デジタル大辞泉 「函館八幡宮」の意味・読み・例文・類語

はこだて‐はちまんぐう【函館八幡宮】

北海道函館市にある神社祭神品陀和気命ほんだわけのみこと住吉大神金刀比羅ことひら大神。文安2年(1445)城の守護神として領主河野政道が創建したという。

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精選版 日本国語大辞典 「函館八幡宮」の意味・読み・例文・類語

はこだて‐はちまんぐう【函館八幡宮】

北海道函館市谷地頭(やちがしら)町にある神社。旧国幣中社。祭神は品陀和気命(ほむたわけのみこと)(=応神天皇)ほか二柱。文安二年(一四四五)領主河野政道が城の守護神として勧請(かんじょう)したと伝える。元町会所町などを経て明治一三年(一八八〇)現在地に遷座。元宮八幡。

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日本歴史地名大系 「函館八幡宮」の解説

函館八幡宮
はこだてはちまんぐう

[現在地名]函館市谷地頭町

函館山東麓に鎮座。祭神誉田別命。旧国幣中社。「福山秘府」によれば造営の由緒・年次ともに不明。宝永五年(一七〇八)に箱館村中で造替されている。「日本社寺大鑑」によると、文安二年(一四四五)河野政通が箱館を築城した折、南東隅の地に鎮護神として勧請したのに始まると伝える。永正八年(一五一一)アイヌとの戦に敗れた河野氏は神輿を奉じて赤川あかがわ村に移ったという。

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改訂新版 世界大百科事典 「函館八幡宮」の意味・わかりやすい解説

函館八幡宮 (はこだてはちまんぐう)

北海道函館市谷地頭町に鎮座。品陀和気(ほんだわけ)命(応神天皇)を主祭神とし,住吉大神,金刀比羅(ことひら)大神を配祀する。社伝によれば1445年(文安2)亀田郡の領主河野政通が箱館に築城のとき,その東南外郭に八幡宮を奉斎したのが起源とされ,そのあと亀田郡赤川村,箱館元町,会所町などに遷座ののち,1880年現在地に鎮座した。函館地方のみでなく,札幌開拓にも関連して崇敬され,小樽室蘭,歌登方面にも勧請された。旧国幣中社。例祭8月15日。その日より3日間隔年ごとに行われる神輿渡御祭は,1780年(安永9)創始の古式ゆたかな祭儀。現社殿は1915年の建造で,優雅な聖帝八棟造である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「函館八幡宮」の意味・わかりやすい解説

函館八幡宮
はこだてはちまんぐう

北海道函館市谷地頭(やちがしら)町に鎮座。祭神は品陀和気命(ほんだわけのみこと)(応神(おうじん)天皇)のほか住吉大神、金刀比羅(ことひら)大神を配祀(はいし)。北海道鎮護神、開拓・航海・漁業の守護神として道内で広く崇敬されている。1445年(文安2)亀田(かめだ)郡領主河野氏が箱館に築いた城の鎮守として八幡宮を祀(まつ)ったのが起源と伝える。以後社地は変転したが、明治になって北海道開拓使の崇敬社となり、1880年(明治13)函館山を背にする景勝地である現在地に移った。旧国幣中社。例祭は8月15日。神輿(みこし)が市内を巡幸する。

[牟禮 仁]

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百科事典マイペディア 「函館八幡宮」の意味・わかりやすい解説

函館八幡宮【はこだてはちまんぐう】

函館市谷地頭町に鎮座。旧国幣中社。応神天皇を主祭神とする。1445年河野政通が箱館築城に際して創建したと伝える。例祭は8月15日で,神輿(みこし)渡御がある。

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