精選版 日本国語大辞典 「函館」の意味・読み・例文・類語
はこだて【函館】
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明治二年(一八六九)から同三二年までの地名で、近世の箱館町を継承する函館市街の総称名。明治二年八月の北海道国郡制定で、箱館町は渡島国
明治四年の函館の戸口は三千五二五戸、一万五千四五人、うち男七千一九三・女七千八五二(明治四年渡島統計)。近世末期の箱館での戸口把握は人別改を基に行われ、その際の区画は、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北海道南部,渡島(おしま)半島南東端を占める市。2004年12月旧函館市が東に接する恵山(えさん),戸井(とい),南茅部(みなみかやべ)の3町と椴法華(とどほつけ)村を編入して成立した。人口27万9127(2010)。
函館市東部の旧町。渡島支庁の旧亀田郡所属。1985年4月,尻岸内町が改称。人口4624(2000)。亀田半島南端に位置し,津軽海峡に臨む。旧地名尻岸内はアイヌ語に由来するといわれる。1720年(享保5)陸奥国南部地方からの移民が定住したのが始まりと伝えられ,幕末にはすでに戸数182戸を数える漁村として発展していた。現在も基幹産業は漁業で,その就業者は全就業者の32%(1990)を占めている。コンブ,イカ,ホッケなどの漁獲高が多い。しかし近年は沿岸漁業の不振から出稼者が増加し,出稼専業地域の様相を呈している。恵山道立自然公園の一部を占め,活火山の恵山(618m),日浦海岸などの観光にも力を入れている。
函館市南端の旧町。渡島支庁の旧亀田郡所属。人口3893(2000)。津軽海峡に面し,旧函館市に隣接する。地盤の弱い山地が海岸に迫り,豪雨のたびに地すべりの被害が出る。江戸時代,松前藩東蝦夷六場所(交易所)の一つとして繁栄したが,早くからニシンは姿を消し,イワシの来遊も昭和の初めごろにみられなくなった。沿岸漁業の不振から出稼ぎ地帯となっている。漁獲高の多いものは,コンブ,イカなどである。恵山道立自然公園に含まれ,柱状節理の絶壁や奇岩の多い海岸線の続く日浦海岸や,下北半島突端の大間崎と向かい合う汐首(しおくび)岬,武井(むい)ノ島などの景勝地がある。国道278号線が通じる。
函館市東端の旧村。渡島支庁の旧亀田郡所属。人口1586(2000)。地名はアイヌ語の〈トゥ・ポク・ケ(山の走り根の・下の・所)〉に由来。東端の恵山岬が太平洋に突き出し,活火山恵山,丸山(691m)などが隣接する旧恵山町との境にある。山林が村域の大部分を占め,山地が迫る海岸沿いに集落が散在する。中心は八幡町(はちまんちよう)で,函館へ国道278号線が通じる。恵山漁場が近くにあり,イカ,マグロ,タラ,ブリなど魚種も豊富で,豊かな漁村として発達した。近年は資源の涸渇から衰退の傾向にあるが,なお漁業就業者が全就業者の7割近く(1990)を占めている。恵山岬は太平洋の眺望にすぐれ,水無(みずなし)海浜温泉があり,恵山登山基地となっている。
函館市中西部の旧市。1922年市制。73年北に接する亀田市(1971市制)を編入。人口28万7637(2000)。古くは箱館と書き,1869年(明治2)函館と改称。津軽海峡を隔てて青森市と相対する。市域東部は山地,西部は函館平野からなり,市街地は南端の函館山山麓から砂州上に扇形に広がり,西に函館湾を抱く。1988年4月まで青函連絡船が出入りしていた北海道の表玄関であり,JR函館本線の起点で江差線が分岐し,国道5号,227号,228号,278号線などが通じ,函館空港もある。函館港は,その形から巴(ともえ)港とも呼ばれる天然の良港で,幕末の開港後は貿易港として発展し,外国船の出入りも多く,アメリカ,イギリス,ロシアなどの領事館も設置された。1869年政府は北海道開拓使出張所を置き,開拓使札幌本庁開設までの拠点とした。その後1908年の青函連絡船の就航により海運業,陸運業が発達,物資の集散地,本州・北海道連絡の拠点,また千島,カムチャツカなど北洋漁業の基地として発展し,昭和初年には北海道最大の都市となった。34年には大火に見舞われたが,短期間に復興した。第2次大戦後は北洋漁業の操業停止などにより衰退し,経済の中心は札幌へ移った。現在は水産加工業,飲料・飼料・タバコ製造業を主産業とし,造船はかつての隆盛にはない。
明治期の洋風建築,旧函館区公会堂(重要文化財),開港場商家の太刀川家住宅店舗(重要文化財)をはじめ,市街地北部に五稜郭跡(特史),西部には銭甕(ぜにがめ)の出土で知られる中世の志苔館(志濃里館)(しのりたて)跡(史),湯ノ川温泉,トラピスチヌ修道院がある。
執筆者:奥平 忠志
アイヌ語で〈ウスケシ〉,〈ウショロケシ〉(いずれも湾の端の意)と呼ばれ,記録には宇須岸,臼岸などとある。15世紀の半ばころ河野政通が築いた館の形が箱に似ていたことから箱館と称されたという。このころには若狭地方とのコンブ交易を通じて経済的な発展をみたが,1512年(永正9)アイヌの攻撃を受けて以来一時閑村と化した。しかし,17世紀末以降コンブ採取の発展や汐首岬以遠への出漁者の増加に伴い,近在や内浦湾沿岸部の産物の集荷地として急速に成長し,1741年(寛保1)松前藩の東部支配の拠点である亀田番所が当地に移転してからは東部地域の中心的な港町として,松前,江差とともに松前三湊に数えられた。
99年(寛政11)の江戸幕府による東蝦夷地の直轄を契機として1802年(享和2)箱館奉行(のちの松前奉行)が置かれ,以後東蝦夷地産物の集荷地として栄えたが,21年(文政4)松前藩復領後は,場所請負人の多くが福山城下(現,松前町)居住の商人となったことから一時その勢いは鈍った。しかし54年(安政1)の日米和親条約により翌年の開港が決定され,同年,再び幕府直轄となって箱館奉行が置かれ,59年以後貿易港として急速に発展した。68-69年には戊辰戦争の最後の舞台となった(五稜郭の戦)。
執筆者:榎森 進
函館市北東部の旧町。渡島支庁の旧茅部郡所属。人口7571(2000)。亀田半島の北東部に位置し,町域は海岸線に沿って起伏する丘陵地からなる。沿岸部には小湾が多く,臼尻,川汲(かつくみ),尾札部(おさつべ)などは天然の良港をなす。中心集落はほぼ中央の川汲で,国道278号線が通り,西に接する旧函館市へ向かう道路を分岐する。松前藩時代には尾札部場所があり,漁場として開発され,特にコンブの産地として知られた。また北海道でのマグロの大謀網漁業発祥の地でもある。現在も就業人口の約60%(1990)が漁業に従事し,漁獲物の半分近くを占めるコンブをはじめ,サケ,イワシ,サバなどを産し,近年はコンブの養殖も行われる。町域の一部は恵山道立自然公園に含まれ,絶壁とハイマツの緑が美しい木直(きなおし)海岸,古部の滝,川汲温泉(単純泉,45~50℃),磯谷(いそや)温泉(含食塩ボウ硝泉,68~70℃)などがある。また函館平野や内浦湾を望む川汲峠付近には箱館戦争の川汲台場砲塁の跡がある。
執筆者:奥平 忠志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…一方,松前(福山)藩は69年館藩と改称,71年の廃藩置県を経て弘前県(後に青森県と改称)に併合されたが,72年開拓使に移管された。82年開拓使は廃止,北海道にも県制がしかれて札幌,函館,根室の3県となり,開拓関連諸事業は翌年農商務省の北海道事業管理局へ移された。しかしこの3県1局制は成功せず,86年廃されて北海道庁が置かれ,全道を管轄した。…
※「函館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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