分子線分光学(読み)ぶんしせんぶんこうがく(英語表記)molecular beam spectroscopy

改訂新版 世界大百科事典 「分子線分光学」の意味・わかりやすい解説

分子線分光学 (ぶんしせんぶんこうがく)
molecular beam spectroscopy

分子線中にある原子や分子を研究する分光学の一分野。分子線の特徴は,その生成方法によっても異なるが,その中の原子や分子は,流れの方向や速さ,電子状態,また分子の場合には振動回転状態などがそろっていることである。

 分子線分光学の歴史は古いが,最近の超音速分子線supersonic molecular beamのレーザー分光法への応用によって新たな発展段階に入ってきた。1922年にO.シュテルンとゲルラハWalther Gerlachは,銀原子線を不均一磁場に通すと2方向に分かれることを発見し,これが電子スピンの存在を実験的に証明したことは有名である。また,その後,I.I.ラビは,巧妙な不均一磁場を用いて原子核核磁気モーメントを測定した。W.E.ラムは,より巧妙な原子線マイクロ波共鳴分光装置を用いて電子の異常スピン磁気モーメントを発見し,量子電磁気学の発展に重要な実験データを提供した。また,点対称中心をもたない,永久電気双極子モーメントをもつ分子を不均一な電場に通すと,その進行方向が曲げられる。この方法とマイクロ波電気共鳴分光法molecular beam electric resonanceを用いて,簡単な分子の分子構造が正確に決定されるようになった。

50Torr程度以上の気圧を有する気体を,つねに排気している真空室中に小さな穴を通して流すと,超音速自由噴流supersonic free jetを生ずる。この流れの中にある原子や分子の速さはそろっている。これは,原子や分子を玉のように考えると,小さな穴を出て行く際に,速い分子は先を進む遅い分子に追突し,逆に遅い分子は速い分子に追突され,多数回の衝突の結果速さがそろってくるためである。並進の運動に対して,まだ速さの分布があるので,これに対して温度や音速を定義すると,元の気圧などの条件によっても異なるが,絶対温度数K以下の流れは容易に得られ音速は小さくなる。音速に対する平均の流れの速度は1よりも大きくなるので流れは超音速になる。さらに,この流れの中にある分子の振動や回転のエネルギーは,並進運動として取られていくので,振動回転の温度がきわめて低い極低温の自由分子が得られる。たとえば,アントラセンC14H10のような複雑な分子の蒸気の通常の吸収スペクトルを取ると,広い波長範囲にわたって連続的に変わるような帯スペクトルが得られる。ところがヘリウムのように簡単な気体中に,数万分の1程度にアントラセン蒸気を希釈した超音速自由噴流中では,そのレーザー誘起蛍光法によるスペクトルを測定すると,原子や二原子分子にみられるようなきわめて鋭い線スペクトルが得られている。このような方法によって,今まで解析が不可能であった複雑な分子のスペクトルを解明することができるようになった。

 超音速分子線法におけるもう一つの特徴は,化学結合における相互作用よりも数けたも小さい分子間相互作用によって結ばれた分子間化合物(例えば,Ar2,(NO2,C6H6……Arなど)をつくることができる。ヘリウムHe2以外のすべての原子や分子が互いに結合した分子間化合物がこの方法によってつくられると考えられており,それらの構造が,上述のマイクロ波電気共鳴分光法や各種レーザー分光法を用いて研究されている。
分子線
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android