加栗山遺跡(読み)かくりやまいせき

日本歴史地名大系 「加栗山遺跡」の解説

加栗山遺跡
かくりやまいせき

[現在地名]鹿児島市川上町

稲荷いなり川右岸、シラス台地末端に位置し、標高は約一七〇メートル。昭和五〇―五一年(一九七五―七六)発掘調査が行われた。旧石器時代の細石器文化期、縄文時代・歴史時代にわたる複合遺跡で、とくに細石器文化の遺物量の多さと縄文早期前半の集落形態が注目される。旧石器時代の遺構・遺物は桜島起源の薩摩火山灰層の下から発見された。約八〇〇〇平方メートルに遺物が集中して出土するブロックが大小三八群検出され、遺物の総数は七万点に達する。細石刃・細石核・スクレーパーのほか、局部磨製石斧一点と石鏃一三点が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「加栗山遺跡」の意味・わかりやすい解説

加栗山遺跡 (かくりやまいせき)

鹿児島市川上町加栗山にある遺跡。先土器時代と縄文時代早期の遺跡,中世山城が,それぞれ火山灰の間層を置いて重なっている。鹿児島市の北7km,甲突川の支流にのぞむ比高80mの舌状台地上にある。1975,76年の鹿児島県教育委員会の発掘で,台地上東西70m×南北150mの上面に3区画の中世城跡,その下から17基の竪穴住居,多数の土壙や集石遺構を伴う縄文時代早期の遺跡が検出された。縄文時代遺跡の下に5層の間層があってその下から細石器と大きな石皿状の加工台や石槌を伴う38ヵ所の石器の群が台地全面にみられた。縄文時代早期の方筒形土器や先土器時代石器加工遺構の豊富な資料は,南九州の先史時代研究に大きな問題を提供した。
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