加治川(読み)かじがわ

日本歴史地名大系 「加治川」の解説

加治川
かじがわ

新発田しばた市東端、山形県境の飯豊いいで山地に源を発し、同市域を東西に二分しつつ内の倉うちのくら川・姫田ひめだ川・坂井さかい川を合せ、蒲原平野を貫流する。本流は蒲原砂丘列の裏側を南西流、新潟市の阿賀野川河口付近で同川に注ぐ。延長五二・五キロ。一方、水害防止のため、聖籠せいろう次第浜しだいはまで日本海に注ぐ加治川分水路が大正二年(一九一三)完成、現在ではこれが本流化している。

上流は山中に深い渓谷を刻み、新発田赤谷あかだに付近までは飯豊川とよばれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「加治川」の意味・わかりやすい解説

加治川 (かじがわ)

新潟・山形県境の飯豊(いいで)山系に発する川で,上流を飯豊川と呼ぶ。赤谷付近から加治川となり,内ノ倉川,姫田川,坂井川を合わせて越後平野北部を貫流し,蒲原砂丘列の南側を流れて阿賀野川の河口付近で同川に合流する。幹川流路延長52.5km,全流域面積367.8km2近世にこの流域を領有した新発田藩は1652年(承応1)新発田城下を水害からまもるため蓮潟瀬替で流路を海岸寄りに改め,次いで1727年(享保12)二ッ山瀬替で砂丘裏へかえた。加治川が注ぐ阿賀野川の分水工事が30年完成して阿賀野川が日本海に放流するようになって以来,加治川の排水機能も高まり,加治川両岸の紫雲寺潟,島見潟の干拓が進み,多くの新田集落が生まれた。さらに1913年直接日本海に放流する加治川分水路が県営事業で完成した。66-67年に向中条(むかいなかじよう)(新発田市の旧加治川村),西名柄(にしながら)(同市)で連続して破堤し大水害を被ったため,この対策として,上流滝谷に74年加治川治水ダムが完成し,また長堤十里といわれた堤防の桜は伐採された。水系には上流から加治川(最大出力1万7000kW),飯豊川第1(5600kW),飯豊川第2(1843kW)の3発電所がある。流域は加治川米の穀倉地帯で,支流内ノ倉川には農業用のダムが造成され灌漑に用いられている。
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加治川(旧村) (かじかわ)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加治川」の意味・わかりやすい解説

加治川
かじかわ

新潟県北部,新発田市北部の旧村域。新潟平野の北部,加治川右岸にある。 1955年加治村と金塚村が合体して加治川村が成立。 2005年新発田市に編入。東側の山手の古い集落と,西側の江戸中期以後の紫雲寺潟干拓による新田集落に分けられる。早場米に加え,シイタケ,野菜を産する。大峰山の橡平 (とちだいら) サクラ樹林は国の天然記念物。加治川堤防の桜の名所は 1966年,1967年の2度にわたる水害の復旧事業のため,伐採し消えた。奥山荘城館遺跡は国の史跡に指定。一部は胎内二王子県立自然公園に属する。

加治川
かじがわ

新潟県北部,飯豊山地に発し,新潟平野の北部を西流して日本海に注ぐ川。全長約 65km。近世,新発田藩の治水・開田政策で流路が整備された。国の直轄事業による加治川分水路の完成 (1914) で流域は穀倉地帯となる。しかし 1966,67年の集中豪雨で下流は破堤し連続して大被害を受けた。このため改良復旧事業で,上流に加治川治水ダム,内ノ倉多目的ダムが建設された。加治川,飯豊川第1・第2の発電所がある。上流部は磐梯朝日国立公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「加治川」の解説

加治川

新潟県新発田市にある道の駅。国道7号に沿う。「加治川 さくらの里」ともいう。

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