加藤千蔭(読み)かとうちかげ

精選版 日本国語大辞典 「加藤千蔭」の意味・読み・例文・類語

かとう‐ちかげ【加藤千蔭】

江戸中期の歌人、国学者。枝直(えなお)の子。姓、橘。号は芳宜園(はぎぞの)、朮園(うけらぞの)など。江戸の町与力国学と和歌を賀茂真淵に学ぶ。歌風は優麗温雅で古今調に近く、村田春海とともに江戸派の中心となる。書家としては千蔭流の祖となる。家集「うけらが花」、著「万葉集略解」など。享保二〇~文化五年(一七三五‐一八〇八

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デジタル大辞泉 「加藤千蔭」の意味・読み・例文・類語

かとう‐ちかげ【加藤千蔭】

[1735~1808]江戸中期の歌人・国学者。江戸の人。本姓はたちばな氏で、枝直えなおの子。号、朮園うけらぞの芳宜園はぎぞの。町奉行所吟味方を務めながら、賀茂真淵かものまぶちに学び、村田春海むらたはるみとともに江戸派の総帥とよばれた。著「万葉集略解りゃくげ」、家集「うけらが花」など。

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朝日日本歴史人物事典 「加藤千蔭」の解説

加藤千蔭

没年:文化5.9.2(1808.10.21)
生年:享保20.2.9(1735.3.3)
江戸中・後期の歌人,国学者。本姓橘。初名佐芳。通称常太郎,又左衛門。朮園,芳宜園,耳梨山人等と号した。狂号橘八衢。幕府の与力で歌人の加藤枝直の子。幼時より才能を発揮し,父枝直の手ほどきを受ける。当時枝直の地所の一角に家を構えていた賀茂真淵に入門する。町奉行組与力勤方見習,奉行所吟味役与力などの公務につき,田沼意次の側用人まで務めたのち,天明8(1788)年に致仕している。官職としては下級幕臣に終始した。 千蔭の文人生活は致仕後に大きく結実した。在職中も歌人としての生活は順調であったが,晩年に至って江戸歌壇における名声はいよいよ高まった。真淵を師としたが,その万葉調にはなじまず,伝統的な歌風に江戸の繁華な風俗を織り込んだ独自の作風を樹立,折しも江戸文芸界空前の活況を呈した安永・天明期(1772~89)の雰囲気に似つかわしい都会派の和歌は大いにもてはやされた。親交を結んだ村田春海と並び称され,彼らおよびその門下を「江戸派」と呼ぶほどの勢力を持つ。幕臣仲間で天明狂歌立役者だった四方赤良こと大田南畝の初の狂歌選集『万載狂歌集』に橘八衢の名で跋を寄せた点に,天明期の雅俗文芸の融合の様をみることができる。 晩年はまた国学者として『万葉集略解』を完成させた。これは今に至るまで万葉集の主要注釈のひとつとされている。また歌人としては,江戸のみならず京坂の文人とも交渉を持った。富小路貞直賀茂季鷹との関係は特筆に価する。また,香川景樹の和歌に対しては強烈な対抗心を燃やしていた。『筆のさが』に千蔭の見解が率直に語られ興味深い。ほかに著作として歌文集『うけらが花』,歌論『答小野勝義書』などがあるが,歌壇の大家のわりにまとまった著作は乏しい。<参考文献>森銑三「加藤千蔭遺事」(『森銑三著作集』7巻),内野吾郎『江戸派国学論考』

(久保田啓一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤千蔭」の意味・わかりやすい解説

加藤千蔭
かとうちかげ
(1735―1808)

江戸後期の歌人、国学者。本姓は橘(たちばな)、名を佐芳(すけよし)、のちに要人(かなめ)、通称を又左衛門、号を芳宜園(はぎその)・朮園(うけらその)、狂号を橘八衢(やちまた)・耳梨山人(みみなしさんじん)という。江戸町奉行(ぶぎょう)与力加藤枝直(えなお)の子として生まれ、職を継いだ。和歌と国学を父や賀茂真淵(かもまぶち)に学び、村田春海(はるみ)とともに、真淵没後の江戸古学派に重きをなした。優麗温雅な歌風で、有名な歌に「隅田川簑(みの)着て下す筏士(いかだし)にかすむあしたの雨をこそ知れ」がある。家集を『うけらが花』(1802)という。寛政(かんせい)の改革にあたって、驕奢(きょうしゃ)な生活をとがめられ、減俸のうえ閉門100日という処罰を受けた。これによる閑暇をきっかけに、村田春海や本居宣長(もとおりのりなが)らの助力を得て、『万葉集略解(りゃくげ)』(1796~1812)を著した。この書は穏健平易な万葉注釈書として大いに普及した。書を滝本(たきもと)松花堂に学び、書家としても盛名を得て千蔭流といわれ、吉原の遊女たちも多く書の門人となったほか、曲亭馬琴(ばきん)も千蔭に書を学んだという。文化(ぶんか)5年9月2日没。東京・両国の回向院(えこういん)に墓がある。

[揖斐 高]

『辻森秀英著『近世後期歌壇の研究』(1978・桜楓社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「加藤千蔭」の意味・わかりやすい解説

加藤千蔭 (かとうちかげ)
生没年:1735-1808(享保20-文化5)

江戸中期から後期にかけての歌人,国学者。加藤枝直(えなお)の三男。加藤は通姓で,正式には橘氏。通称常太郎のち又左衛門。朮園(うけらぞの)などと号す。近世および近代の《万葉集》普及に多大の力を持った《万葉集略解(りやくげ)》の著者。10歳で賀茂真淵に入門。村田春海(はるみ)と並んで真淵の門派県門(けんもん)の双璧と称された。家職を継ぎ,町奉行吟味役,田沼意次の御用人などを歴任した。歌風は,真淵門下でありながら,新古今風の繊細さに特色を示し,家集に《うけらが花》がある。また,かな書にもすぐれ,千蔭流を開いた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「加藤千蔭」の意味・わかりやすい解説

加藤千蔭【かとうちかげ】

江戸中・後期の歌人,国学者。本姓橘,号芳宜園(はぎぞの),朮園(うけらその)。父は国学者の加藤枝直(えなお)。父の跡を継ぎ町奉行与力を勤めた。賀茂真淵門下で村田春海(はるみ)と並ぶ江戸派の代表的歌人として知られ,優美典雅な歌風である。書にもすぐれ,千蔭流の祖。主著は《万葉集略解》,家集に《うけらが花》。
→関連項目擬古文中島広足

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤千蔭」の意味・わかりやすい解説

加藤千蔭
かとうちかげ

[生]享保20(1735).江戸
[没]文化5(1808).9.2. 江戸
江戸時代中期の歌人,国学者,書家。本姓,橘氏。通称,又左衛門。家号,芳宜園 (はぎぞの) ,朮園 (うけらぞの) 。狂歌名,橘八衢 (やちまた) 。加藤枝直の子。代々,江戸八丁堀の与力。賀茂真淵の門に入り,国学,和歌を志した。師の万葉風に必ずしも従わず,古今,新古今風の典雅優美な歌風で,村田春海とともに,いわゆる江戸派の代表的歌人とされ,「歌は千蔭,文は春海」と称された。繊細な都会的感覚の叙景歌にすぐれたものをみせる。国学者としても『万葉集』研究に功績があり,松平定信の治政下,100日間の閉門を命じられた際,『万葉集略解』 (20巻,1796~1812) を著わした。書にも長じ,仮名書きにすぐれ,千蔭流の祖。狂歌もよくし,『万載狂歌集』の跋を記している。家集『うけらが花』 (02) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「加藤千蔭」の解説

加藤千蔭
かとうちかげ

1735.3.9~1808.9.2

江戸中・後期の国学者。加藤枝直(えなお)の子。姓は橘。通称は又左衛門,字は常世麿(とこよまろ),号は𦬸園(うけらぞの)・芳宜園(はぎぞの)など。1788年(天明8)町奉行与力を辞したのちは学芸に専念した。若くして諸芸を学んだが,とくに国典を賀茂真淵に学び,退隠後,師の業をうけ,かつ本居宣長の協力を得て「万葉集略解(りゃくげ)」を著作,万葉研究の普及に資した。歌風は古今集前後を理想とする高調典雅なもので,村田春海(はるみ)とともに並称された。書は松花堂昭乗にならって和様書家として一家をなし,仮名書の法帖(ほうじょう)を数多く出版した。絵ははじめ建部綾足(たけべあやたり)に漢画を学んだが,のち大和絵風に転じた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤千蔭」の解説

加藤千蔭 かとう-ちかげ

1735-1808 江戸時代中期-後期の歌人,国学者。
享保(きょうほう)20年3月9日生まれ。加藤枝直の3男。賀茂真淵(かもの-まぶち)に入門。歌風は平明,優雅で村田春海(はるみ)とともに江戸派を代表した。書は千蔭流とよばれ,画や狂歌もたくみであった。文化5年9月2日死去。74歳。江戸出身。本姓は橘。字(あざな)は常世麿。通称は又左衛門。号は芳宜園(はぎぞの),朮園(うけらぞの),耳梨山人。著作に「万葉集略解(りゃくげ)」,家集に「うけらが花」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「加藤千蔭」の解説

加藤千蔭
かとうちかげ

1735〜1808
江戸後期の歌人・国学者
本姓橘,通称要女 (かなめ) ,号は芳宜園 (はぎぞの) ・朮園 (うけらぞの) など。江戸の人。賀茂真淵 (まぶち) の門に入ったが,歌風は万葉調より古今風に近かった。村田春海とともに江戸派の双璧といわれた。書もよくし,千蔭流の祖。主著に『万葉集略解』,家集『うけらが花』など。

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367日誕生日大事典 「加藤千蔭」の解説

加藤千蔭 (かとうちかげ)

生年月日:1735年2月9日
江戸時代中期;後期の歌人;国学者
1808年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の加藤千蔭の言及

【万葉集略解】より

…注釈書。橘千蔭(加藤千蔭)著。1800年(寛政12)成立。…

※「加藤千蔭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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