加藤友三郎内閣(読み)かとうともさぶろうないかく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤友三郎内閣」の意味・わかりやすい解説

加藤友三郎内閣
かとうともさぶろうないかく

(1922.6.12~1923.9.2 大正11~12)
政党に直接の基礎を置かず、官僚貴族院を母体にして成立した超然内閣。高橋是清(たかはしこれきよ)内閣が立憲政友会内紛により総辞職ののち、海軍大将加藤友三郎が組閣。憲政会内閣の出現を恐れた立憲政友会が閣外協力を表明して成立した。民本主義的世論は「変態内閣」「憲政の逆転」とこれを批判し、加藤首相のあだ名「燃え残りのロウソク」をとって「残燭内閣(ざんしょくないかく)」とからかった。しかし加藤内閣は内外の平和要求にこたえ、1922年10月シベリア撤兵を完了し、ソビエトとの国交回復交渉を行った。また、高橋内閣が調印したワシントン海軍軍縮条約の線に沿い、軍艦14隻廃艦、6隻建造中止、海軍将校約1700名と下士官兵約5800名整理、職工約1万4000名解雇、軍港・要港の格下げと廃止、部局統廃合などの海軍軍縮断行。ついで山梨半造陸相によって陸軍将校約1800名と准士官以下約5万6000名および馬匹約1万3000頭を削減した(山梨軍縮)。同時に行財政整理を進め、臨時外交調査委員会、防務会議、国勢院などが廃止された。しかし他方では、普通選挙法案反対し、小作争議調停法案を議会に提出したが(労働組合法案と過激社会運動取締法案は未提出)、三悪法反対運動にあい不成立に終わった。加藤首相の病死により8月26日総辞職し、内田康哉(うちだやすや)外相が臨時首相として残務を整理した。後継内閣は、山本権兵衛(やまもとごんべえ)によって第二次山本内閣が組織された。

[木坂順一郎]

『林茂・辻清明編『日本内閣史録2』(1981・第一法規出版)』


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百科事典マイペディア 「加藤友三郎内閣」の意味・わかりやすい解説

加藤友三郎内閣【かとうともさぶろうないかく】

1922年6月12日―1923年8月26日。高橋是清内閣のあと,官僚・貴族院議員を中心に組閣,政友会が支持。加藤が海相も兼ね,ワシントン会議による軍縮,シベリア撤兵を実現。ソ連代表ヨッフェと通商回復につき交渉。普通選挙法案には反対の態度をとった。加藤の死去で総辞職。→加藤友三郎

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「加藤友三郎内閣」の解説

加藤友三郎内閣
かとうともさぶろうないかく

高橋是清政友会内閣の総辞職後,高橋内閣の海相加藤友三郎が組織した内閣(1922.6.12~23.9.2)。官僚・貴族院議員を中心とする中間内閣であったが,政権が憲政会に移ることを恐れた政友会の支持をうけた。山東問題を処理し,シベリアからの撤兵を実行。またワシントン会議にもとづいて海軍軍縮を実現,山梨半造陸相を通して陸軍軍縮にも着手した。普通選挙には反対の態度をとったが,選挙法改正による有権者拡大を企図し,衆議院議員選挙法調査会を設置,その答申を臨時法制審議会に諮問した。首相の病死により総辞職した。

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