加藤正治(読み)かとうまさはる

改訂新版 世界大百科事典 「加藤正治」の意味・わかりやすい解説

加藤正治 (かとうまさはる)
生没年:1871-1952(明治4-昭和27)

明治から昭和にかけて活躍した法律学者。長野県生れ。1897年東京帝国大学法科大学を卒業,同大学院在学中,日本郵船副社長の加藤正義養子となる(旧姓平林)。1900年同大学助教授,03年教授となり,31年の定年退官まで,民事訴訟法破産法・海商法等の講義を担当。この間,破産法・和議法制定,民事訴訟法の改正等の重要な立法作業に主導的な役割を果たした。47年枢密顧問官,48年中央大学総長となった。主要著作に《破産法研究》(全11巻),《破産法要論》《民事訴訟法要論》等がある。1918年に今井五助,後藤新平らとともに財団法人信濃通俗大学会をつくり,長野県大町市の木崎湖畔に木崎夏期大学(教育会主催のものとしては日本で最初)の事業を始めるなど,社会教育の面でも功績があった。郷里の犀(さい)川にちなんで犀水と号し俳句をよくし,また書画にも長じた趣味人でもあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤正治」の意味・わかりやすい解説

加藤正治
かとうまさはる
(1871―1952)

法学者。名は「しょうじ」ともよばれる。明治4年3月10日長野県に生まれる。1897年(明治30)東京帝国大学法科大学卒業、1903年(明治36)同大学教授。31年(昭和6)定年退官後は中央大学総長、民事訴訟法学会会長、海法学会会長などを歴任した。東京帝国大学名誉教授、帝国学士院会員。東京帝国大学在職中は、民法、民事訴訟法、破産法などの講座を担当した。専門は民事訴訟法、破産法。政府の法律取調委員、法制審議会委員などとして、商法、民事訴訟法、破産法、和議法などの立法事業に参画し、とくに民事訴訟法、破産法、和議法の立法、法改正には中心的役割を果たした。47年(昭和22)には旧憲法下の枢密院の顧問官となり、日本国憲法などの審議に参与した。学問的にはとくに破産法研究の開拓者である。昭和27年3月16日に没。主要著書として『破産法研究』11巻、『破産法要論』『和議法要論』『民事訴訟法要論』『強制執行法要論』などがある。

[本間義信]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「加藤正治」の意味・わかりやすい解説

加藤正治
かとうまさはる

[生]明治4(1871).3.10. 長野
[没]1952.3.16. 神奈川,大磯
民事訴訟法および破産法学者。旧姓は平林,加藤正義の養子。 1897年,東京大学法学部卒業。 1903~31年同大学教授。この間,法律取調委員,法制審議会委員として商法,民事訴訟法,破産法などの立案に参与。 47年,枢密院顧問官として,日本国憲法の審議に参加した。 48年,中央大学総長に就任。主著『破産法研究』 (11巻,1912~53) ,『破産法要論』 (34) ,『民事訴訟法要論』 (新訂版,46) ,『強制執行法要論』 (新訂版,46) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤正治」の解説

加藤正治 かとう-まさはる

1871-1952 明治-昭和時代の法学者。
明治4年3月10日生まれ。36年母校東京帝大の教授となり,民事訴訟法,破産法などを講義。この間,民事訴訟法の改正,破産法の制定に指導的役割をはたした。昭和23年中央大学長。昭和27年3月16日死去。81歳。信濃(しなの)(長野県)出身。旧姓は平林。俳号は犀水。著作に「破産法研究」など。

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