加藤茂苞(読み)かとうしげもと

日本大百科全書(ニッポニカ) 「加藤茂苞」の意味・わかりやすい解説

加藤茂苞
かとうしげもと
(1868―1943)

植物学者。山形県稲生(いなおい)村(現、鶴岡市)の生まれ。1891年(明治24)帝国大学農科大学を卒業、農林省農事試験場に勤務、稲作の研究に携わった。1903年(明治36)畿内(きない)支部に移り、安藤広太郎とともにイネの人為交配による雑種作成に成功し、メンデル遺伝学をイネ品種改良に先駆的に導入した。またイネの品種を比較して60品種に整理しイネ育種学の基礎を固めた。1919年(大正8)農学博士、1921年九州帝国大学教授となり、日本のイネと外国のイネを比較して、世界のイネを、インディカジャポニカに2大別することを提唱し、広く認められた。1932年(昭和7)以降は東京農業大学教授の地位にあった。

[佐藤七郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤茂苞」の解説

加藤茂苞 かとう-しげもと

1868-1949 明治-昭和時代の農学者。
慶応4年5月17日生まれ。農商務省農事試験場につとめ,稲の在来品種収集・整理し,明治36年安藤広太郎とともに組織的な交雑育種をはじめる。また世界の稲を日本型とインド型に大別した。のち九州帝大,東京農大の教授を歴任。昭和24年8月16日死去。82歳。出羽田川郡(山形県)出身。帝国大学卒。前名は竜太郎。

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世界大百科事典(旧版)内の加藤茂苞の言及

【農学】より


[農学発展の契機]
 日本におけるイネの品種を問題とするとき,明治期の著名品種で,今日でもその血の流れている〈亀の尾〉〈愛国〉〈神力〉〈旭〉〈銀坊主〉などは,すべて当時の耕作農民の手によって水田から見いだされた品種である。一方,国立農事試験場を中心に,明治中・末期より主として水稲を中心としての育種研究,育種事業が安藤広太郎,加藤茂苞などの手によって開始される。大正期には顕著な発展分野はなかったが,近藤万太郎による種子学研究は特記すべきものであろう。…

※「加藤茂苞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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