加賀三ヵ寺(読み)かがさんかでら

世界大百科事典(旧版)内の加賀三ヵ寺の言及

【一向一揆】より

…やがて88年(長享2)には,守護富樫政親の兵粮米賦課に反対する一揆がおこり,加賀,能登,越中,越前の門徒を中心とする一揆衆数万は,政親の高尾城を攻め政親以下を殺して,別家の富樫泰高を守護に推戴した。これは〈百姓トリ立テ富樫〉とか〈百姓ノ持チタル国ノヤウ〉などといわれ,農民勢力を背景にした加賀三ヵ寺(波佐谷松岡寺,若松本泉寺,山田光教寺)などの蓮如一門の寺院や門徒化した国人などの支配する加賀の〈門徒領国〉が実現した。 これに先んじて,1481年東大寺領越中国高瀬荘では年貢問題で百姓と在地領主の石黒光義が争い,井波の瑞泉寺などを中心とする一向一揆が蜂起して石黒氏を滅ぼし,越中西部に門徒の支配権を確立した。…

※「加賀三ヵ寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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