勘合船(読み)カンゴウセン

デジタル大辞泉 「勘合船」の意味・読み・例文・類語

かんごう‐せん〔カンガフ‐〕【勘合船】

室町時代勘合を交付されてと正式に通商した船。遣明船

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精選版 日本国語大辞典 「勘合船」の意味・読み・例文・類語

かんごう‐せん カンガフ‥【勘合船】

〘名〙 室町時代、勘合②を携えて、対明貿易に従った船。〔日葡辞書(1603‐04)〕

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「勘合船」の意味・わかりやすい解説

勘合船
かんごうせん

室町時代,勘合符をもって明国に渡った貿易船。遣明船,渡唐 (ととう) 船ともいう。初期は幕府直営で派遣したが,のちには有力な寺社大名が派遣するようになり,多くは堺,博多の商人が一切の経営を行うようになり,幕府は単に勘合貿易の権利を保持しているにすぎなくなった。応仁の乱後は大内氏細川氏利権争い,大内船,細川船などの名で呼ばれた。しばしば途中で海賊に襲われたらしく,室町幕府は,航海途上の沿岸の実力者に渡唐船の警固を命じている。応仁以後は船3隻,人員 300人,10年1貢という制限が設けられたが,実際はこの制限は守られなかった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「勘合船」の解説

勘合船
かんごうせん

室町時代の遣明船。勘合を携帯したところからの呼び名
1404年から1547年までの間に17回計84隻が渡航。1432年に10年1貢,船3隻,1隻の乗員300人と規定されたが守られなかった。室町幕府の直営船のほか,大名・寺社船などで編成され,経費は堺・博多などの商人が負担した。応仁の乱(1467〜77)後は,堺商人と結んだ細川氏と博多商人と結んだ大内氏が中心となる。1523年の寧波 (ニンポー) の乱後 '47年まで大内氏が実権を握り,以後廃絶した。

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世界大百科事典(旧版)内の勘合船の言及

【織物】より

…室町幕府は勘合符をもって明朝と貿易船を往来させた。勘合船は足利義政の時代に1船団3隻に制限されたが,それ以前は4,5隻から10隻という船団で,応仁の乱以前に渡明した船数は58隻に及んでいる。したがって貿易貨物も莫大な数量にのぼり,銅銭,陶磁器,香薬,染料などさまざまなものがもたらされたが,各時代を通じて大きな額を占めたのは絹織物と生糸である。…

【勘合貿易】より

…一般には,勘合(勘合符)を用いておこなわれた貿易と解されているが,勘合は船舶の渡航証明書ではあるけれども貿易の許可証ではなく,勘合貿易という用語は日明間の貿易の実体を正しくいいあらわしたものとはいえない。むしろ,勘合を所持した勘合船の貿易とか,遣明船の貿易とか表現する方が適当であろう。勘合船は1404‐1547年(応永11‐天文16∥明の永楽2‐嘉靖26)のあいだに17回84隻が渡航した。…

※「勘合船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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