勝光明院(読み)しょうこうみょういん

世界大百科事典(旧版)内の勝光明院の言及

【僧形八幡】より

…9世紀に入ると,八幡神は宇佐から鎮守として大安寺,神護寺,東寺へと次々に勧請され,860年(貞観2)には国家鎮護の石清水八幡宮が創建されているので,この間の勧請のおりに,僧形八幡は中央で成立したのであろう。神護寺の画像は現存はしないが,弘法大師筆の所伝を有していたため院政期には著名になり,鳥羽院に献ぜられて鳥羽の勝光明院の宝蔵に納められた。その図像は老比丘形で,衲衣(のうえ)を着け赤蓮華に座して日輪をいただき,左手に念珠,右手に錫杖をもつとされ,後世の製作の規範となった。…

【鳥羽殿】より

…そして没時の在所三条室町殿西対を鳥羽殿東殿へ移築し,九躰阿弥陀堂につくりかえ成菩提院(じようぼだいいん)と名づけ,三重塔の拝所にあてた。鳥羽法皇は鳥羽殿北殿に36年(保延2)宇治平等院鳳凰堂を模した勝光明院(しようこうみよういん)御堂を造立し,東殿には37年に安楽寿院(あんらくじゆいん)九躰阿弥陀堂,39年に三重塔,40年に炎魔天堂と美福門院塔を造立した。47年(久安3)に安楽寿院の南に新御堂(九躰阿弥陀堂),54年(久寿1)には二階九間四面阿弥陀堂と二階三間四面釈迦堂からなる金剛心院(こんごうしんいん)を田中殿南に造立した。…

※「勝光明院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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