勝尾寺(読み)かちおでら

精選版 日本国語大辞典 「勝尾寺」の意味・読み・例文・類語

かちお‐でら かちを‥【勝尾寺】

大阪府箕面市粟生にある真言宗高野派の寺。山号応頂山。神亀四年(七二七)僧善仲、善算の開基と伝えられる。西国三十三所の第二十三番札所。

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デジタル大辞泉 「勝尾寺」の意味・読み・例文・類語

かつお‐じ〔かつを‐〕【勝尾寺】

大阪府箕面みのお市粟生にある高野山真言宗の寺。山号は応頂山、院号は菩提院。奈良時代末、光仁天皇皇子開成親王が創建、弥勒みろく寺と称し、貞観年間(859~877)勝尾寺と改称。西国三十三所の第23番札所。中世文書を多数所蔵。かちおでら。

かちお‐でら〔かちを‐〕【勝尾寺】

かつおじ

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日本歴史地名大系 「勝尾寺」の解説

勝尾寺
かつおじ

[現在地名]箕面市粟生間谷

市の北東部、勝尾寺川上流の山中にある。本堂・薬師堂・本坊・多宝塔などが立並ぶ境内北方には、開基とされる光仁天皇皇子開成皇子の墓のある最勝さいしようヶ峰がそびえる。「かちおじ」ともよばれ、文永九年(一二七二)とみられる外院庄百姓長谷吉延申状案(勝尾寺文書)に「加智尾寺」とみえる。応頂山と号し高野山真言宗。本尊は十一面観音で西国三十三所観音霊場の第二三番札所。御詠歌は「重くとも罪にはのりの勝尾寺仏を頼む身こそやすけれ」。巡礼の順路は第二二番総持そうじ(現茨木市)から当寺に至り、その後中山なかやま(現兵庫県宝塚市)に向かった(西国巡礼細見記)

〔草創〕

「三代実録」元慶四年(八八〇)一二月四日条、清和太上天皇の諸山巡歴の記事に「天皇寄事頭陀、意切経行、便欲覧名山仏、於是始山城国貞観寺、至于大和国東大寺、香山、神野、比蘇、竜門、大滝、摂津国勝尾山、諸有名之処」とある勝尾山が文献上の初見。平安中期以降流布していたとされる当寺の縁起によると、神亀年中(七二四―七二九)善仲・善算という二聖者が金字大般若経書写の大願を立てここに入山修行をしていた。その後この二聖を師として受戒した皇子開成がその大願のあとを受け宝亀年間(七七〇―七八一)に写経の大功をなしとげたという。皇子はこれを般若台に奉納し、寺域の結界を定めて伽藍堂舎を建立し弥勒寺と称したのがその始まりと伝える。承平五年(九三五)二月五日の摂津国総持寺資財帳案(勝尾寺文書、以下明記しないかぎり同文書)に、総持寺の別院として「勝尾山寺壱処」がみえ、また総持寺には長保年中(九九九―一〇〇四)以後、比叡山の大僧正明豪の門徒が寺司に補任されていることから(天仁二年一〇月九日太政官牒案)、平安中期の勝尾寺は勝尾山寺とよばれ、総持寺に属する天台末寺であったとみられる。

摂関期から院政期にかけて民間の法華信仰浄土信仰が盛んになり、多くの聖が諸国で活躍したが、勝尾寺も今様に「聖の住所はどこどこぞ、箕面よ勝尾よ、播磨なる書写そさの山、出雲の鰐淵わにぶち日の御崎ひのみさき、南は熊野の那智とかや」(梁塵秘抄)とうたわれたごとく、箕面寺と並ぶ聖の代表的な聖地となった。その頃、当寺の荒神信仰も都に知られ、承暦四年(一〇八〇)六月三〇日、大納言源俊房が大堰おおい川において勝尾寺住僧頼命に荒神祓を修せしめた事実がある(「水左記」同日条)。また当寺の観音信仰も世に聞こえ、仁安三年(一一六八)の頃「法印御房」が観音の霊徳を仰いで京都慈徳じとく寺領味舌ました(現摂津市)の佃一町を勝尾寺に施入し、雑事を免除して同寺の仏聖灯油料に充てている(承安五年三月三〇日検校法眼房政所下文・欠年勝尾寺住僧等解案)

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改訂新版 世界大百科事典 「勝尾寺」の意味・わかりやすい解説

勝尾寺 (かつおじ)

大阪府箕面市粟生(あお)の山中にある真言宗の寺。山号は応頂山。本尊は十一面観音。西国三十三所第23番札所となっている。寺の縁起では奈良末の山林修行者善仲・善算および開成(かいじよう)皇子を開基とし,もと弥勒寺と称したという。880年(元慶4),清和太上天皇が〈摂津国勝尾山〉に巡幸したと《三代実録》にあるのが史料上の初見である。平安末,叡山浄土寺門跡に属する天台寺院で,十一面観音,薬師如来を本尊とした。源平争乱のとき源氏に焼打されたのを復興。1230年(寛喜2),寺領山林四至を確定して牓示の〈八天石蔵〉を築造し,その遺構は国の史跡に指定されている。付近の箕面の滝とともに北摂の紅葉の名所で,訪れる人が多い。当寺には寺宝の仏像・経巻等のほかに,約1200点の中世文書を主とする〈勝尾寺文書〉が所蔵され,寺領山林関係の公文書や寄進状,書状,寺院記録など,豊富な中世史料を伝えている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勝尾寺」の意味・わかりやすい解説

勝尾寺
かつおじ

大阪府箕面(みのお)市粟生間谷(あおまだに)にある寺。俗に「かちおじ」ともいう。高野山真言宗に属し、応頂山菩提院(おうちょうざんぼだいいん)と号する。本尊は十一面千手観音(せんじゅかんのん)。西国三十三所第23番札所。奈良時代末、善仲・善算の兄弟が入山、765年(天平神護1)2人に師事した光仁(こうにん)天皇の皇子開成(かいじょう)が止住、のち堂宇を建立し弥勒寺(みろくじ)と称したのに始まる。清和(せいわ)天皇の病気平癒に効験あり、現寺名を賜った。中世には広大な寺域を領し、寺運盛んであったが、源平の乱で一山焼失した。

 現在、源頼朝(よりとも)再建と伝える薬師堂ほか、近世に再建された本堂、大師堂などが並ぶ。また旧境内には中世に寺領の境界を標示するために寺の八方に築造された八天石蔵(はってんのいしぐら)(四天王、四大明王像を埋納)と町石が遺存し、国史跡に指定されている。寺宝の薬師三尊像、『法華経(ほけきょう)』第4巻は国の重要文化財。また勝尾寺文書を多数蔵する。

[金岡秀友]

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百科事典マイペディア 「勝尾寺」の意味・わかりやすい解説

勝尾寺【かつおじ】

大阪府箕面(みのお)市の山中にある真言宗の寺。〈かちおじ〉とも。本尊十一面観音西国三十三所第23番札所。奈良末期に山林修行者善仲などが開基,もと弥勒寺と称したという。880年清和太上天皇が〈勝尾山〉に巡幸している。源平争乱の時源氏に焼き討ちされたのを復興。1230年寺領四至を確定し築いた【ぼう】示(ぼうじ)の遺構は国指定史跡。中世を主とする《勝尾寺文書》を所蔵。
→関連項目天王寺明治の森箕面国定公園

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デジタル大辞泉プラス 「勝尾寺」の解説

勝尾寺

大阪府箕面市にある高野山真言宗の寺院。「かつおじ」とも「かちおじ」とも読む。山号は応頂山、院号は菩提院。本尊は十一面千手観音菩薩。旧境内の「ぼう示八天石蔵および町石」(“ぼう”は片へんに旁)は国の史跡に指定。

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事典・日本の観光資源 「勝尾寺」の解説

勝尾寺

(大阪府箕面市)
大阪みどりの百選」指定の観光名所。

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