勧学会(読み)かんがくえ

精選版 日本国語大辞典 「勧学会」の意味・読み・例文・類語

かんがく‐え クヮンガクヱ【勧学会】

〘名〙 仏語大学寮紀伝道の学生たちが天台宗の僧と一緒に催した法会。康保元年(九六四)に初めて行なわれた。慶滋保胤、橘倚平、藤原在国、高階積善源為憲などが代表的人物で、僧俗各二〇人が三月と九月の各一五日に一寺に参集し、法華講義のあと、文藻をねって法華に関する詩文を作り、夕に及んで、念仏に夜を徹したもの。〔観智院本三宝絵(984)〕

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デジタル大辞泉 「勧学会」の意味・読み・例文・類語

かんがく‐え〔クワンガクヱ〕【勧学会】

康保元年(964)に慶滋保胤よししげのやすたねらの始めた、一種の念仏結社。3月9月の15日に、比叡山の僧20人と大学寮北堂の学生20人が会して、朝に法華経を講じ夕に念仏を唱え、その間に法華経の経文を題として詩を作ったりした。

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百科事典マイペディア 「勧学会」の意味・わかりやすい解説

勧学会【かんがくえ】

平安時代,天台僧と大学寮の学生が集まって行った法会。964年創始。《法華経》を講じ,阿弥陀仏を念じ,名号を唱え,また経中の句を題にして詩文の詠作をし,清宴を楽しんだ会。慶滋保胤(よししげのやすたね)らの文人貴族を中心に,白居易を崇拝する学生が結集浄土教の深化,作文や釈教歌発達を支えた。
→関連項目源為憲

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「勧学会」の意味・わかりやすい解説

勧学会
かんがくえ

平安時代、学生(がくしょう)・文人が叡山(えいざん)の僧侶(そうりょ)とともに行った法会(ほうえ)。春秋の2回、僧俗20人ずつが集まり、法華経(ほけきょう)を講じ、弥陀(みだ)を念じ、讃仏(さんぶつ)の詩をつくるというもので、964年(康保1)、慶滋保胤(よししげのやすたね)らが始め、中絶を繰り返し、回顧的なものに性格を変えながら、1122年(保安3)まで続けられた。学生・文人らは、盛んとなりつつあった浄土教の影響を受け、崇拝する白楽天(はくらくてん)の文学観に導かれながら、文学と仏道の調和をみいだそうとしたものであり、貴族の浄土教受容の先駆けとなり、釈教(しゃっきょう)の詩歌を隆盛に導いた。

[柳井 滋]

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世界大百科事典(旧版)内の勧学会の言及

【延暦寺】より

…古来,山僧の多くは山上に住まず,東西坂本および洛中に里坊(さとぼう)を有したが,今では主として東坂本(大津市坂本)に集住し,ここには最澄生誕地と伝える生源寺,座主の住坊である滋賀院門跡をはじめ多くの住院がある。
[法会]
 《三宝絵詞》(984年源為憲撰)には,叡山で行われる毎年の法会として,1,4,7,10月に各21日間ずつ行う懺法(せんぼう)(812年最澄始修),3月と9月の15日に行う勧学会(964年始修,山僧20人と大学寮学生20人が坂本の寺に会し,朝は法華経を講じ,夕は念仏を行い,終夜,讃仏の詩文を作る),4月の花の盛りに行う舎利会(860年円仁始修),4月15日以前に行う授戒会(823年始),6月4日,最澄の忌日に行う六月会(みなづきえ),8月11日から17日まで行う不断念仏(865年円仁始修),9月15日に行う灌頂(843年円仁始修),11月24日の天台大師忌に行う霜月会(798年最澄始修)を掲げる。このうち六月,霜月の両会はとくに重んじられ,5年に1度,好季を選んで両会同時に修し,これを法華大会という。…

【慶滋保胤】より

…卓越した才能と将来への野心を持ちながら,また弥陀念仏の信仰生活を送っていた。964年(康保1)に学生と比叡山の僧侶が春秋2回西坂本に会して《法華経》を講じ弥陀を念じ賛仏の詩を賦す行事の勧学会(かんがくえ)を結成して,その指導者になった。その維持発展に心を傾けたが,次第に深まる信仰によって離れていった。…

※「勧学会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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