世界大百科事典(旧版)内の北ノ庄三人衆の言及
【北ノ庄】より
…戦国時代,朝倉氏は北陸街道を扼(やく)するこの地に一族を配置し,領国経営を進めた。1573年(天正1)朝倉氏が滅亡すると織田信長は北ノ庄三人衆として木下祐久,明智光秀,津田元嘉を配し,75年には柴田勝家を配置して北陸経営の拠点とした。勝家は九重の天守をもつ北ノ庄城を築くが,83年豊臣秀吉に滅ぼされる。…
※「北ノ庄三人衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…戦国時代,朝倉氏は北陸街道を扼(やく)するこの地に一族を配置し,領国経営を進めた。1573年(天正1)朝倉氏が滅亡すると織田信長は北ノ庄三人衆として木下祐久,明智光秀,津田元嘉を配し,75年には柴田勝家を配置して北陸経営の拠点とした。勝家は九重の天守をもつ北ノ庄城を築くが,83年豊臣秀吉に滅ぼされる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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