北多摩郡(読み)きたたまぐん

日本歴史地名大系 「北多摩郡」の解説

北多摩郡
きたたまぐん

明治一一年(一八七八)一一月の郡区町村編制法の施行により、近世の多摩郡を東・西・南・北に四分した際、神奈川県に属していた郡域の北東部が北多摩郡となった。成立時には北は埼玉県、西は神奈川県西多摩郡、南は同県南多摩郡・橘樹たちばな郡、東は東京府荏原えばら郡・東多摩郡・北豊島郡と境を接した。「地方沿革略譜」によれば郡内は同年には一町一三一ヵ村で構成され、戸数一万一千七四七・人口六万二千六四三、郡役所は府中駅番場ばんば宿(現府中市)に置かれた。同二二年の町村制の施行により、府中駅・調布田無の三町と、立川砂川すながわ(現立川市)など三四ヵ村に統合された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の北多摩郡の言及

【東京[都]】より

…72年東京府所管の多摩地方も神奈川県に移管したが,まもなく東京府に再編入,その後75‐76年に埼玉県下の足立,葛飾両郡の一部が東京府に編入された(南足立郡,南葛飾郡)。次いで78年伊豆七島が静岡県から,80年小笠原諸島が内務省から移管され,さらに93年神奈川県下の多摩地方(当時は西多摩郡,北多摩郡,南多摩郡)も移されて,旧多摩郡全域が管轄下に置かれ,その後小地域の編入は何度かあったものの,ほぼ現在の都域が確定した。 一方,1878年の郡区町村編成法によって東京府は15区6郡(荏原,南豊島,北豊島,南葛飾,東多摩,南足立の6郡。…

※「北多摩郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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