北条基時(読み)ほうじょう・もととき

朝日日本歴史人物事典 「北条基時」の解説

北条基時

没年:正慶2/元弘3.5.22(1333.7.4)
生年:弘安8(1285)
鎌倉末期の幕府執権。時兼の子。讃岐守,相模守を歴任正安3(1301)年六波羅探題北方に就任し,嘉元1(1303)年まで在京。同3年引付頭人,正和4(1315)年13代執権となる。しかし幕政は内管領長崎円喜・高資父子らが掌握しており,翌年には執権職を得宗高時に譲って出家し,普恩寺入道信忍と称した。鎌倉幕府滅亡の正慶2/元弘3(1333)年,新田義貞軍をよく化粧坂に防いだが,高時ら一門と共に自害した。これより先,子息の六波羅探題仲時自刃の報に接し,「まてしばし死出の山辺の旅の道同じく越て浮世語らん」と詠じたという。<参考文献>安田元久編『鎌倉将軍執権列伝』

(森幸夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北条基時」の解説

北条基時 ほうじょう-もととき

?-1333 鎌倉時代の武将
正安(しょうあん)3年六波羅(ろくはら)探題北方。のち引付頭人(ひきつけとうにん),信濃(しなの)守護をへて,正和(しょうわ)4年13代執権となるが,翌年辞職して出家。普恩寺殿とよばれる。元弘(げんこう)の乱では鎌倉化粧(けわい)坂をまもって新田義貞(よしさだ)軍とたたかう。正慶(しょうきょう)2=元弘3年5月22日鎌倉東勝寺で一門とともに自刃(じじん)。法名は信忍。

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