北浦定政(読み)きたうら さだまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「北浦定政」の解説

北浦定政 きたうら-さだまさ

1817-1871 江戸時代後期の陵墓研究家。
文化14年3月30日生まれ。大和(奈良県)古市の人。伊勢(いせ)津藩領古市奉行所の手代。大和の天皇陵を調査し,嘉永(かえい)元年「打墨縄(うつすみなわ)」を刊行。文久3年津藩士に登用され,御陵用掛となる。「平城宮大内裏跡坪割の図」など,明治以後の平城京研究の基礎となる業績を多数のこした。明治4年1月7日死去。55歳。通称義助。号は霊亀亭。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の北浦定政の言及

【平城宮】より

…しかし9世紀には廃絶し,やがて水田になったらしい。このため宮跡は正確にはわからなくなり,幕末になって北浦定政(1817‐71)が平城京全体の位置を推定するまで不明のままにされていた。国学者である定政は測量学にも通じ,天皇の陵墓や宮都の位置,また大和国の条里制などに興味をもっていた。…

※「北浦定政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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