十時梅崖(読み)とどき・ばいがい

朝日日本歴史人物事典 「十時梅崖」の解説

十時梅崖

没年:享和4.1.23(1804.3.4)
生年:享保17(1732)
江戸中期の儒学者。名ははじめ業のち賜。字ははじめ季長のち子羽,通称半蔵。梅崖は号,別号顧亭,清夢軒,天臨閣。摂津国大坂(大阪市)に生まれる。伊藤東所に入門,古義学を学ぶが,のち朱子学を信奉した。伊勢国長島藩の儒者となり,長島(三重県桑名郡長島町)に移住。同藩では享保7(1722)年に藩校文礼館が設けられ,天木時中が山崎闇斎系の朱子学を伝えた。しかし中絶していたので,天明5(1785)年梅崖を中心として再興した。梅崖は,書画,篆刻の面でも著名。豪放らいらくな文人だったらしい。<参考文献>芳村笛村『梅崖先生伝』

(三宅正彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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