千宗室(読み)せんのそうしつ

精選版 日本国語大辞典 「千宗室」の意味・読み・例文・類語

せん‐の‐そうしつ【千宗室】

(初代) 茶人。江戸初期からの裏千家当主。宗旦の第四子。号は朧日庵、仙叟。玄室、のち宗室。加賀侯前田利常に仕えた。元和八~元祿一〇年(一六二二‐九七

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デジタル大辞泉 「千宗室」の意味・読み・例文・類語

せん‐そうしつ【千宗室】

[1622~1697]江戸前期の茶人。裏千家の祖。宗旦の四男。号、仙叟せんそう・朧月庵。宗旦の今日庵を継承して、裏千家とよばれる。加賀前田家に仕えた。以後、裏千家宗家は代々宗室を名のる。

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百科事典マイペディア 「千宗室」の意味・わかりやすい解説

千宗室【せんのそうしつ】

裏千家流家元。1世宗室〔1622-1697〕は千宗旦の四男。初名は玄室。仙叟と号した。今日庵を継ぎ加賀藩の茶頭となった。8世宗室〔1810-1877〕は玄々斎を号し裏千家中興と呼ばれる。現在の16世(1世宗室から数えると13世。裏千家では千利休から数える)宗室〔1956-〕は坐忘斎と号す。
→関連項目ベスト・ドレッサー賞

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千宗室」の意味・わかりやすい解説

千宗室
せんそうしつ

[生]1923.4.19. 京都
茶道裏千家今日庵 15世家元。幼名は政興。 14世家元淡々斎千宗室の長男として生れる。 1946年同志社大学経済学部卒業後,ハワイ大学で美学を専攻し人文博士号を取得。 49年京都市大徳寺で参禅得度し,鵬雲斎玄秀宗興居士の号を受けるとともに虚心庵住職となる。 64年 14世の死去に伴って 15世を襲名。茶道文化の普及発展に努め,51年の初渡米以来 50数ヵ国を訪問,フランス政府よりコマンドール芸術文化勲章を授与されたのをはじめ,ブラジル,西ドイツ,イタリア,フィンランドからも勲章を贈られた。 89年文化功労者。 97年文化勲章を受章。『茶の精神』『茶の真諦』『茶経とわが茶道の歴史的意義とその展開』など著書も多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千宗室」の解説

千宗室 せんの-そうしつ

せん-そうしつ

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世界大百科事典(旧版)内の千宗室の言及

【裏千家流】より

…千利休を開祖とする茶道の流派の一つ。利休の孫宗旦が不審庵を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北の隣接地に今日庵,寒雲亭さらに又隠(ゆういん)を建てて移り住み,それが末子仙叟に譲られたことにより裏千家が成立。現在の15世に至るまで,代々宗室を名のっている。明治以後,裏千家では職場を中心にした婦人層と女学校への茶の湯普及につとめ,茶道人口の増大を図ったほか,現在では海外への茶道普及にも力を注いでいる。 利休から数えて4世にあたる仙叟宗室は,はじめ医師を志して野間玄琢に師事し,玄室と称していたが,玄琢の死後千家に戻り,のち加賀藩主前田利常の茶道茶具奉行として仕えるところとなった。…

【表千家流】より

…千利休を開祖とする茶道流儀の一つ。代々宗左を名のる。利休の切腹によって千家は一時断絶したが,会津若松の蒲生氏郷に預けられていた利休の子千少庵が豊臣秀吉に召し出され,本法寺前町に屋敷が与えられて千家の再興がはかられ,千家2世となった。それとともに大徳寺の喝食(かつしき)として修行していた少庵の子千宗旦は還俗し,千家3世を継承することとなった。その後,宗旦は不審庵を中心とする本法寺前町の屋敷を三男江岑(こうしん)宗左に譲り,北裏に今日庵(裏千家)を建て,四男仙叟(せんそう)宗室とともに移り住んだ。…

※「千宗室」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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