千曲川(読み)チクマガワ

デジタル大辞泉 「千曲川」の意味・読み・例文・類語

ちくま‐がわ〔‐がは〕【千曲川/筑摩川】

長野県を流れる信濃川の称。県境にある甲武信岳こぶしだけに源を発し、佐久平を流れて善光寺平犀川さいがわと合流、新潟県に入って信濃川となる。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「千曲川」の解説

千曲川
ちくまがわ

日本海に注ぐ信濃しなの川の上流で、信濃国に属する部分の名称である。南佐久郡甲武信こぶし(二四八三メートル)に源を発し(ただし信仰上の水源は甲武信岳の西、標高二五九五メートルの金峰きんぽう山とされている)、佐久郡を北流、小県ちいさがた郡を西流して北に向きを変え、更級さらしな郡・埴科はにしな郡の旧郡界を流れて飛騨山脈から流出してきたさい川を合わせ、更に高井郡水内みのち郡の間を北流して越後国に入る。この信越国境から以南が千曲川で、以北が信濃しなの川とよばれている。全長二一五キロ、信濃川全長(三六七キロ)の五八パーセントにあたる。また流域面積は支流犀川のそれを加えると七千一七八平方キロである。文献上の初見は「万葉集」の東歌で

<資料は省略されています>

とある。中世に及んでは「吾妻鏡」「源平盛衰記」「平家物語」などには「筑摩河」または「筑摩川」と載せ、「明月記」安貞元年(一二二七)条に当時信濃の国務をみていた藤原定家に、その使者が「ちくま河大河也、国中を廻り流る」と報告している。元亨元年(一三二一)一〇月、市河盛房の志久見しくみ郷内の譲状(市河文書)には「ちくま河」と記しているので、この頃信濃国境辺りまでを「ちくま河」と称していたことが知られる。建武二年(一三三五)七月の市河助房着到状(市河文書)には「千熊河」とあり、永享八年(一四三六)足利義教の信濃守護小笠原正透にあてた感状に「知隈川」と記す。僧尭恵の「北国紀行」文明一八年七月条に「ちくまかはゝ御堂の東に流れたり」と記している。「御堂」は善光寺をいう。文亀二年(一五〇二)の「宗祇終焉記」の二月条には「ちくま河の石ふみわたり」と書き、「寸金雑録」の永禄一一年(一五六八)七月条には「千熊・犀川両瀬ともに往還断絶」と武田信玄の書状を掲載している。慶長一六年(一六一一)の水内橋勧進帳案(丸山文書)に「夫以者、有信州于二大河、一者謂千曲河、一者称犀川」と記して、ここで初めて「千曲川」の文字となって現れてくる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「千曲川」の意味・わかりやすい解説

千曲川【ちくまがわ】

信濃川上流部,長野県に属する部分をいう。長さ214km。甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)に発し,八ヶ岳東麓を北流,佐久・上田両盆地を経て長野盆地犀川(さいがわ)を合わせ,飯山盆地を経て新潟県に入る。小諸付近から長野盆地まではおおむね広い谷底平野を形成。《万葉集》に筑摩の川とみえ,《明月記》には〈ちくま河大河也,国中を廻り流る〉と記される。江戸時代には舟運もみられた。河谷に小海線,飯山線,しなの鉄道が通じる。
→関連項目臼田[町]上山田[町]関東山地更埴[市]小海[町]妻女山坂城[町]佐久[町]佐久盆地千曲[市]東部[町]豊野[町]長野[県]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

改訂新版 世界大百科事典 「千曲川」の意味・わかりやすい解説

千曲川 (ちくまがわ)

信濃川上・中流部,長野県下を流れる部分の名称。秩父山地の甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)に源を発し,長野県の東部を北へ流れ,最大の支流犀(さい)川と長野盆地で合流し,信越国境で信濃川と名を変え,新潟県に入る。長野県内の総延長214km。明治時代以前は,魚野川が合流する新潟県長岡市の旧川口町までを千曲川と称した。千曲川の流域には,佐久盆地上田盆地長野盆地,飯山盆地があるが,いずれも肥沃な農耕地域になっており,佐久・飯山盆地では水田が,上田・長野両盆地はリンゴやブドウ,モモの果樹園が多い。

 長野盆地北部では河川敷の幅は1kmにも達しているが,これは大洪水のたびに流路が変わったためで,このため河川敷と沿岸の耕地の一部を集落の共有とし,浸食(川欠(かわかけ)という)があれば残った農地を再分割し,起返(おきがえり)といって新しい開墾地が得られれば分割して利用した。これを割替(わりかえ)制度といい,土地を地割慣行地(割地・地割)と呼んでいる。このような土地制度は,千曲川の水害常襲地帯である長野・飯山両盆地に現在も維持されている。

 千曲川では上田から信越国境に近い西大滝(飯山市岡山地区)までの間,通船が運航されていた。舟運は鉄道開通とともに順次廃止されていったが,第2次大戦後まで一部に残っていた。沿岸には電子・自動車部品,印刷,製糸工業が発展して内陸工業地域をつくっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「千曲川」の意味・わかりやすい解説

千曲川
ちくまがわ

信濃川(しなのがわ)の長野県内部分の呼び名。一級河川。長野県内の延長は214キロメートル、流域面積は7163平方キロメートル。山梨・埼玉・長野の県境にある甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)から流出し、佐久・上田・長野盆地などを形成し、新潟県に入って信濃川となる。佐久盆地では湯川と鹿曲(かくま)川、上田盆地で依田(よだ)川と神(かん)川、長野盆地で犀(さい)川、鳥居(とりい)川などと合流する。佐久盆地から上流は渓谷をなし、水力発電所もあるが、上田・長野盆地では勾配(こうばい)もなく河幅も広い。最上流部の長野県川上(かわかみ)村は高原野菜栽培で知られる。佐久・上田・長野の三盆地は米作や養鯉(ようり)、リンゴ栽培などのほか、工業化が進んでいる。

 近世末期には飯山(いいやま)市から長野市松代(まつしろ)までの通船が始まった。『万葉集』には筑摩川(ちくまがわ)として詠まれ、以来多くの古歌にみられる。近代になっても島崎藤村(とうそん)の『千曲川のスケッチ』をはじめ、志賀直哉(なおや)、有島武郎(たけお)、佐藤春夫、尾崎喜八などの作品に登場する。なお、川原での「つけば」とよばれるウグイ料理は初夏の風物詩である。

[小林寛義]

『市川健夫著『千曲川・信濃川』(1973・信濃路)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千曲川」の意味・わかりやすい解説

千曲川
ちくまがわ

信濃川 (新潟県) の上流,長野県を流れる部分の名称。全長 214km。秩父山地の長野・埼玉・山梨県境にある甲武信 (こぶし) ヶ岳に発し,佐久盆地で湯川と鹿曲 (かくま) 川,上田盆地で依田川と神川,長野盆地で犀川,鳥居川,夜間瀬川などを合流して飯山盆地を経て新潟県に入り信濃川となる。佐久盆地より上流は急流で水力発電に利用されるが,上田盆地より下流は流れがゆるやかで近世までは舟運に利用された。4盆地を貫流するため,水田灌漑や自然堤防上の畑作など,農業上の役割が大きい。峡谷美には欠けるが,千曲市更埴の姨捨では流れを眼下にのぞむ景勝地。小諸市の小諸城跡からの眺望は島崎藤村の『千曲川旅情の歌』で広く知られる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典 日本の地域遺産 「千曲川」の解説

千曲川

(長野県飯山市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

デジタル大辞泉プラス 「千曲川」の解説

千曲川

日本のポピュラー音楽。歌は男性演歌歌手、五木ひろし。1975年発売。作詞:山口洋子、作曲:猪俣公章。第17回日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の千曲川の言及

【上田盆地】より

…長野県東部にある上田市を中心とした小盆地。盆地は南東から北西に流れる千曲川によって地形的に東西に二分される。東部は狭義の上田盆地で,北辺には太郎山断層崖が走り,また盆地の南寄りを流れる千曲川には3段の段丘が発達している。…

※「千曲川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android