千曲(読み)チクマ

デジタル大辞泉 「千曲」の意味・読み・例文・類語

ちくま【千曲】

長野県中北部の市。平成15年(2003)更埴こうしょく市、戸倉とぐら町、上山田町が合併して成立戸倉上山田温泉観光業やあんず栽培が盛ん。人口6.2万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「千曲」の意味・読み・例文・類語

ちくま【千曲】

長野県中北部の市。戸倉上山田温泉があり、また、あんず栽培が盛ん。平成一五年(二〇〇三更埴市戸倉町、上山田町が合併して成立。

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改訂新版 世界大百科事典 「千曲」の意味・わかりやすい解説

千曲[市] (ちくま)

長野県中北部の市。2003年9月更埴(こうしよく)市と上山田(かみやまだ)町,戸倉(とぐら)町が合体して成立した。人口6万2068(2010)。

千曲市南部の旧町。旧更級(さらしな)郡所属。人口6821(2000)。千曲川中流左岸に位置し,川沿いの低地と西部の筑摩山地からなる。明治中期までは米作養蚕が盛んな農村地域であったが,1903年に千曲川の河床に温泉が発見されてから北に接する旧戸倉町にかけての温泉と一体となり,戸倉上山田温泉(単純硫化水素泉,40~60℃)として発展した。第2次大戦後は訪れる温泉客が多く,現在は県下有数の歓楽郷となっている。千曲川沿いの沖積地では米作,西部の扇状地では果樹,花卉栽培が盛んで,特に力石地区のカーネーションは有名。観光リンゴ園もあり,近年はきのこ類の栽培もふえている。西部の冠着(かむりき)山山麓地すべり地形で,田毎の月で知られる階段状の水田が見られる。智識寺には重要文化財の大御堂や十一面観音立像がある。
執筆者:

千曲市北部,長野盆地南端にある旧市。1959年更級郡稲荷山町,八幡村と埴科(はにしな)郡埴生(はにゆう)町,屋代町が合体,市制。千曲川をはさんで相対した両郡名から1字ずつとって市名とした。人口3万9402(2000)。市街地は千曲川西岸の稲荷山,東岸の埴生,屋代の旧3町に分かれるが,近年市街地の発達とともに一体化が進んでいる。稲荷山は明治中期に信越本線が開通するまでは長野盆地第一の商業都市であり,松本に通ずる北国西街道(善光寺街道)の宿場町としても発達した。屋代は北国街道の旧宿場町で,埴生は信越本線屋代駅の開設とともに開けた駅前集落であった。第三セクターしなの鉄道(旧信越本線),篠ノ井線,長野電鉄(2012年屋代線が廃止),長野自動車道,上信越自動車道の分岐点をなし,国道18号(北国街道)が通る交通の要衝であり,食料品,輸送機械,縫製,メリヤスなどの工業が発展しているが,長野市に近く,その衛星都市としての性格が強い。市の南東の森,倉科地区は日本一のアンズ栽培地で〈アンズの里〉とよばれ,10万本のアンズの花の咲く4月中旬には多くの観光客を集める。アンズの実を原料としたシロップ漬けなどの食品加工業も盛ん。また森の将軍塚は東日本有数の前方後円墳である。
執筆者:

千曲市中部の旧町,旧埴科郡所属。人口1万8326(2000)。千曲川中流域,長野盆地南端に位置する。中央を千曲川が北流し,南西部には冠着山がそびえる。中心集落の戸倉は近世から北国脇往還の宿場町として栄えたが,1893年に温泉が発見され,信越本線の開通とともに長野県の代表的温泉町に発展した。温泉街は南隣の上山田と一体となり戸倉上山田温泉(単純硫化水素泉,40~60℃)を形成する。1938年千曲川東岸にも新戸倉温泉(単純硫化水素泉,40℃)が開湯した。千曲川沿いに沖積低地があるが,1戸当りの経営耕地面積は県下でかなり零細である。多角的な農業経営が行われ,リンゴ,野菜,花卉などが栽培される。旧長野・旧上田両市の中間に位置し,交通の便もよいため両市のベッドタウンとしても発展している。国道18号線と第三セクターしなの鉄道(旧信越本線)が東部を縦断する。
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