千本松原(読み)センボンマツバラ

デジタル大辞泉 「千本松原」の意味・読み・例文・類語

せんぼん‐まつばら【千本松原】

静岡県沼津市の海岸。造林されたクロマツの茂る砂丘が続く。千本浜。千本松

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精選版 日本国語大辞典 「千本松原」の意味・読み・例文・類語

せんぼん‐まつばら【千本松原】

[一] 静岡県沼津市、駿河湾に面する海岸の砂丘と松林。富士川の河口まで続く防潮防風保安林の一部で、富士山を背景とする景勝地。近年、防潮堤の建設が進む。千本の松原。千本浜。千本原。千本松。
[二] =せんぼん(千本)(二)(一)

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日本歴史地名大系 「千本松原」の解説

千本松原
せんぼんまつばら

狩野かの川河口から西に延びる砂洲(千本浜砂丘・東田子ノ浦砂丘)上の松林。砂洲上を東海道が通るため、付近の浮島うきしまヶ原とともに古くから景勝地として知られ、この地を訪れた文人たちの紀行文に描かれ、詩歌の題材ともなった(「東関紀行」「梅花無尽蔵」「東国紀行」など)。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)一二月二二日条によると、治承・寿永の内乱で平氏方であった里見義成は、同日以前に「駿河国千本松原」で斎藤実盛らと会い、この日源頼朝のもとに参じている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「千本松原」の意味・わかりやすい解説

千本松原
せんぼんまつばら

静岡県東部,駿河湾にのぞむ松原。沼津市の狩野川河口から富士市の田子ノ浦港にかけての景勝地で,松原は『東関紀行』にも名が現れていたが,天正年間 (1573~92) ,武田北条合戦で伐採され,住民は潮風の害に苦しんだ。その苦しさを救うため増誉上人長円 (千本山乗運寺の開山) が長い年月をかけて 1000本のマツ苗を再植したと伝えられる。砂丘上に防潮,防風保安林のマツ林が続く。特に狩野川河口北西部の千本浜公園はその中心で,井上靖若山牧水文学碑,若山牧水記念館などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「千本松原」の意味・わかりやすい解説

千本松原
せんぼんまつばら

静岡県、駿河湾(するがわん)奥部の海岸砂丘と砂浜の松林の総称。沼津市狩野(かの)川河口付近から西に延び、富士市に達し、約10キロメートル。クロマツの造林地で、沼津市乗運(じょううん)寺の開祖増誉上人(ぞうよしょうにん)の植栽といわれる。沼津市に千本浜公園があり、井上靖(やすし)、若山牧水、芹沢光治良(せりざわこうじろう)などの文学碑や、若山牧水記念館もある。沼津御用邸記念公園のクロマツ林も美林で郷土景観として重要である。しかし、海岸は防潮堤の構築が進み、人工海岸に変貌(へんぼう)している。千本浜公園には沼津駅からバス10分。

[北川光雄]

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デジタル大辞泉プラス 「千本松原」の解説

千本松原〔景勝地〕

静岡県沼津市、狩野川河口部から富士市方面へのびる駿河湾北部の海岸沿いに広がる松林。長さ約10km、面積約103ヘクタールにわたりクロマツの林が広がり、その本数は30数万本にもおよぶ。歌人の若山牧水が保護運動に参加したことでも知られ、松原の一角に「沼津市若山牧水記念館」がある。「日本百景」「日本の白砂青松100選」に選定されている。

千本松原〔小説〕

岸武雄による児童文学作品。1971年刊行。同年、野間児童文芸新人賞受賞。1992年、『せんぼんまつばら 川と生きる少年たち』の題名でアニメ映画化。

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事典・日本の観光資源 「千本松原」の解説

千本松原

(岐阜県海津市)
美しい日本の歴史的風土100選 準100選」指定の観光名所。

千本松原

(静岡県沼津市)
日本の白砂青松100選」指定の観光名所。

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