南昌教案(読み)なんしょうきょうあん

世界大百科事典(旧版)内の南昌教案の言及

【南昌】より

… 清末から近代にかけても南昌は長江中下流域において独自の重要性をもった。長江の主流からはずれているために条約による開港場とはならなかったが(九江は天津条約で開港された),天津条約による内地布教権をもとにフランスの宣教師が江西布教の中心として南昌に進出しようとし,1861年(咸豊11)と1906年(光緒32)に紛争(南昌教案)を起こしている(仇教運動)。また1927年8月1日には,共産党の指導の下に,南昌駐在の国民革命軍の一部が,南京の蔣介石政府,武漢の汪兆銘政府に対して反乱を起こし,中国共産党史の上では,共産党が初めて独自の革命戦争を展開した運動と評価され〈八・一南昌起義〉と呼ばれている(南昌蜂起)。…

※「南昌教案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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