南洋庁(読み)ナンヨウチョウ

デジタル大辞泉 「南洋庁」の意味・読み・例文・類語

なんよう‐ちょう〔ナンヤウチヤウ〕【南洋庁】

第一次大戦後、日本委任統治領となった南洋群島に関する行政事務を行った官庁。大正11年(1922)パラオ諸島コロールに置かれ、昭和20年(1945)ポツダム宣言受諾により消滅

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精選版 日本国語大辞典 「南洋庁」の意味・読み・例文・類語

なんよう‐ちょう ナンヤウチャウ【南洋庁】

〘名〙 第一次世界大戦後、日本の委任統治領となった旧ドイツ領の南洋諸島に関する行政事務を管掌した分地制の地方官庁パラオ諸島のコロールに置かれていた。

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百科事典マイペディア 「南洋庁」の意味・わかりやすい解説

南洋庁【なんようちょう】

ベルサイユ条約によって旧ドイツ領南洋群島が日本の委任統治領となるに伴い,1922年設置された行政官庁。パラオ諸島のコロール島本庁を,サイパン,ヤップ,パラオ,トラック,ポーンペイ,ヤルートに6支庁置き小学校や産業試験場なども併設された。はじめ長官は首相の指揮監督の下にあったが,1929年拓務省,1942年大東亜省が管轄。1945年自然消滅。
→関連項目拓務省パラオ

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南洋庁」の解説

南洋庁
なんようちょう

第1次大戦後日本の委任統治領となった旧ドイツ領の南洋諸島統治のため,1922年(大正11)発足した行政機関。パラオ諸島のコロール島に本庁を設置。所属官署として6行政区に支庁がおかれた。小学校・公学校(島民)・実業学校・法院・病院・採鉱所・産業試験所・観測所・郵便局などが設置された。職員はほとんどが日本人。経済開発に力を入れ,32年(昭和7)日本政府から財政的に独立。監督権は内閣総理大臣から29年拓務省,42年大東亜省に移り,敗戦で消滅した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南洋庁」の意味・わかりやすい解説

南洋庁
なんようちょう

第1次世界大戦後のベルサイユ条約により日本の委任統治領となった旧ドイツ領南洋諸島の統治を司った外地行政機関。 1922年設置。南洋庁長官を長とし長官官房ほか内務,財政,拓殖の3部から構成された。本庁はパラオ諸島中のコロール島におかれ,要所に支庁が設けられた。第2次世界大戦終戦時まで存続。

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世界大百科事典(旧版)内の南洋庁の言及

【南洋委任統治領】より

…日本は同諸島を自国領土の構成部分として自国法によって統治できるが,軍事施設の設置その他は禁止されていた(C式委任統治)。このうちヤップ島についてはアメリカなどの異議があったが,22年に妥結,同年防備隊を廃して南洋庁が設置され(パラオ諸島コロール島),民政に移行した。南洋庁は旧来の部落首長を村吏に起用して行政を行う一方,移民の奨励,産業の振興,教育の普及などを図った。…

【南洋神社】より

…ミクロネシア住民はキリスト教の影響下にあったので,当初日本政府は国際連盟への配慮から日本化を強行しなかったが,33年に国際連盟を脱退すると,日本色の強化が始まり,南洋群島の総鎮守としての神社の創建が計画された。40年11月1日,南洋庁があったコロール島のアルミズの丘に,天照大神を祭神とする官幣大社南洋神社の社殿が完成し,鎮座式が行われた。その後戦況の悪化で神体は他島に移され,空爆によって社殿は焼滅した。…

※「南洋庁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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