南海貿易(読み)なんかいぼうえき

改訂新版 世界大百科事典 「南海貿易」の意味・わかりやすい解説

南海貿易 (なんかいぼうえき)

中国東南アジア,南アジアとの間の海上貿易。通常17世紀以前の時期について用いる。中国と東南アジア,南アジアとの間の海上貿易は前2世紀ころから始まったものと見られる。その後,5世紀までは中国からは金・銀,絹織物が輸出され,その見返りに南アジア,西アジアなどからの宝石,工芸品などが輸入されていた。しかし5世紀に中国国内で金・銀が不足するようになると,中国は一転して東南アジア,南アジアから金・銀を輸入し始めた。その見返りとして中国から輸出されたのは,はじめは絹織物が最も重要であったが,10世紀以降はこれに陶磁器銅銭が加わった。東南アジア,南アジアでは中国産のこうした品物を入手するために,西アジア方面から輸入する金・銀を必要としたが,それだけでは十分でなく,モルッカ諸島産のチョウジニクズクなどの香料インド産のコショウなどの香料や綿織物なども必要とした。

 南海貿易に従事する商人は,はじめ東南アジア各地やインドから中国に来航する商人であったが,7世紀ころからペルシア人など西アジア商人の中国来航が盛んとなった。そして9世紀ころからは中国人商人が直接東南アジア,南アジアの各地に進出し,13世紀には西アジアへも進出した。しかし1368年に明朝がその建国とともに民間商人の海外渡航を禁止したことによって,南海貿易はマラッカ以西では南アジア,西アジア方面から来航する商人,マラッカ以東では東南アジア各地の商人,もしくはそれらの各地に住みついた華僑商人がこれに従事した。1550年代以降はポルトガル商人が加わったことにより新大陸産の銀が流入し,南海貿易は中国が必要とする新大陸産の銀,および日本産の金・銀を入手するための大規模な国際貿易活動の一部となった。明・清時代の中国の経済的繁栄を支えたものの一つに,このように大規模な海上貿易があったのである。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南海貿易」の意味・わかりやすい解説

南海貿易
なんかいぼうえき
Nan-hai mao-yi

中国と南方諸国 (インドシナ,マレー,インドネシアフィリピンの諸地域およびインド洋ペルシア湾などの沿岸地域) との間に行われた貿易。朝貢,優賜をも含む。南海貿易の起源古く,前 214年秦の始皇帝が南海貿易の利を手中に収めようと嶺南の地を経略したことに始る。漢代になって本格的に始り,唐代にはイスラム教徒であるアラビア・ペルシア商人が進出し,中国商人もそれに刺激されて南海に進出するようになった。宋・元代には最盛期を迎え,明代の鄭和の西征ではアフリカ東岸にも達したが,海禁政策やヨーロッパ諸国の進出により衰えた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「南海貿易」の解説

南海貿易
なんかいぼうえき

琉球や日本と東南アジア諸国との貿易。琉球は14~16世紀の王国成立後,タイ,スマトラ,ジャワ,安南(あんなん)(ベトナム北部)などの諸国に往来し,琉球産の硫黄(いおう),中国産の高級絹繻子(しゅす)・陶磁器,日本産の刀剣・扇子などを輸出し,胡椒・蘇木(そぼく)・象牙などを輸入。輸入品は明・朝鮮・日本への輸出品となった。琉球の久米(くめ)村や東南アジア諸国に居住する華僑(かきょう)が,貿易の主要な役割を担った。日本には,15世紀に東南アジアからの南蛮船が若狭国小浜や薩摩国に来着したことがある。17世紀に朱印船が,タイのアユタヤ,安南の東京(トンキン),ルソン(フィリピン)のマニラなどに渡航して貿易し,日本町が形成されることもあった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「南海貿易」の解説

南海貿易
なんかいぼうえき

中国と南海諸地域との間に行われた海の道による貿易
唐代にアラビア・ペルシアのイスラーム教徒が来航するようになってから盛んとなり,16世紀のヨーロッパ人の来航まで続いた。象牙・真珠・宝石・香辛料などが輸入され,金・銀・絹・陶磁器・銭などが輸出された。絹の道と並ぶ東西交渉の重要な経路。

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世界大百科事典(旧版)内の南海貿易の言及

【専売】より

…しかしこれも南宋以降はしだいに自由商品化される。南海貿易を市舶司を通して国家管理下においた宋では,数多くの輸入品でもとくに瑇瑁(たいまい),象牙,犀角,珊瑚(さんご),瑪瑙(めのう),乳香など10種を榷貨に指定していた。また元初にはとくに河南,陝西の竹園を官営し,竹を専売扱いしたが,一時的に終わった。…

【東西交渉史】より

…また6~7世紀における突厥(とつくつ)の勃興に伴って,天山北麓よりアラル海,カスピ海の北岸地帯を経て東ローマに至る〈草原の道〉も,〈オアシスの道〉と並んで再び脚光をあびるに至った。 これに対して〈海の道〉は,前3世紀の末,当時〈番禺〉と呼ばれた現在の広東が中国人によって征服され,前2世紀後半にインドシナ半島の北部までが中国の領土となると,この番禺を中心に,中国人の南海貿易も開始され,紀元前後には,南海の商船が,犀角,真珠,象牙などの珍品を積んでこの港に到着した。一方,西方のギリシア人,ローマ人たちも,1世紀中ごろ以降,季節風を利用して盛んにインド洋に進出し,同じころには《エリュトラ海案内記》と題する,航海の実体験にもとづく南海地方の周航記も残されている。…

※「南海貿易」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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