南牧村(読み)なんもくむら

日本歴史地名大系 「南牧村」の解説

南牧村
なんもくむら

[現在地名]渋川市南牧

「みなみもく」(郡村誌)とも読まれた。金井かない村の北、吾妻あがつま川南岸にあり、三国街道が当村で同川を渡る。対岸の北牧きたもく(現北群馬郡子持村)にかけての一帯を古代の群馬郡利刈とかり(和名抄)の地とし、「延喜式」左右馬寮にみえる利刈牧が置かれたとする説がある。長享二年(一四八八)九月二八日、江戸から越後府中ふちゆう(現新潟県上越市)に向かう京都相国しようこく寺の僧万里集九が当地を通り、「梅花無尽蔵」に「抂路渡吾妻河、有危橋編舟為橋もく」「目之橋在吾妻河」と記す。当地一帯は目とよばれ、吾妻川には船橋が架かっていた。

南牧村
なんもくむら

面積:一一九・三三平方キロ

甘楽郡の西端に位置し、北と東は下仁田しもにた町、西は長野県南佐久みなみさく郡佐久町・臼田うすだ町、南は多野たの上野うえの村と接する。山林および原野で総面積の七割余を占める。中央を南牧川が東流し、支流には熊倉くまくら川・星尾ほしお川・底瀬そこぜ川・大仁田おおにた川・大塩沢おおしおざわ川などがある。集落はこれらの流路に沿って形成されている。北・西・南は標高一一〇〇―一四〇〇メートルの山稜によって画され、北部より荒船あらふね(一四二二・五メートル)兜岩かぶといわ(一三六八・四メートル)余地よじ(一二六九メートル)烏帽子えぼし(一一八二メートル)の山々が稜線にそびえる。

南牧村
みなみまきむら

面積:一三三・四〇平方キロ

南佐久郡南西端の村。東は南相木みなみあいき村、南東は川上かわかみ村に接し、西は八ヶ岳連峰を境に諏訪郡、南は野辺山原のべやまはら緩斜面が山梨県境に連なる。低い集落でも標高一〇〇〇メートルを越え、気候は冷涼。近年は高原野菜野辺山高原、八ヶ岳などで知られる観光地。

野辺山原は、江戸時代を通じ御所平ごしよだいら樋沢ひさわ(現川上村)板橋いたばし平沢ひらさわ(現南牧村)など諸村の入会林野で、大部分が秣場として利用された。

南牧村
みなみまきむら

[現在地名]信州新町弘崎ひろさき

東は中牧なかまき村、南と西は樋沢ひざわ川によって大岡おおおか村(現更級さらしな郡大岡村)、北は和田わだ村・吐唄とつと村、さい川に面する。南の山地より北の犀川への傾斜地である。中世は、牧城に居住した香坂氏の領地。戦国時代は牧之島まきのしま城主の領治に属していた。西方尾根の標高六九四・九メートルの城平じようだいらに和田ノ城がある。本郭・段郭・水の手などが認められる。眺望がよく、牧城・牧之島城の出城であり見張城と考えられる。

慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)では「弐百四拾四石四斗七升三合 南牧村」である。元和八年(一六二二)松代領となる。

宝暦二年(一七五二)新検地が行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南牧村」の意味・わかりやすい解説

南牧〔村〕
みなみまき

長野県東部,八ヶ岳連峰の東斜面にある村。東部の千曲川は谷底を流れるために平地は少い。八ヶ岳裾野の野辺山高原には広大な畑地があり,キャベツ,レタスなどの高冷地野菜が栽培され,別荘地,スキー場もある。千曲川左岸には海ノ口温泉,うそ沢温泉がある。 JR小海線野辺山駅は日本で最高所にある JR駅。また,野辺山には国立天文台太陽・宇宙電波観測所がある。八ヶ岳キバナシャクナゲ自生地は天然記念物。矢出川遺跡は史跡に指定されている。村域の一部は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。国道 141号線が通る。面積 133.09km2。人口 3242(2020)。

南牧〔村〕
なんもく

群馬県南西部,長野県との県境にあり,鏑 (かぶら) 川の支流南牧川流域を占める村。 1955年尾沢,月形,磐戸の3村が合体して発足。林業とコンニャクの栽培が主産業。西部の砥沢では流紋岩の岩脈から砥石用の石材が切出され,石材加工業も立地。村域の一部は妙義荒船佐久高原国定公園に属する。面積 118.83km2。人口 1611(2020)。

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