出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
新潟県南東部の市。2004年11月六日町(むいかまち)と大和(やまと)町が合体して成立,さらに05年10月塩沢(しおざわ)町を編入した。人口6万1624(2010)。
南魚沼市南部の旧町。旧南魚沼郡所属。人口2万0561(2000)。魚野川中流の六日町盆地南部にあり,東は越後山脈,西は魚沼丘陵に挟まれ,清水峠付近に発して魚野川に合流する登川の流域を占める。中心の塩沢は近世三国街道の宿場町として栄え,上十日町は上田船道の遡航終点であった。水が豊かで雪さらしもできることから越後縮,越後上布などの麻織物の産地として知られ,近年は塩沢紬(つむぎ),塩沢御召(おめし)など絹織物を生産している。町域の約4割を占める水田では魚沼産コシヒカリなどの優良米が生産される。豪雪地帯にあって石打丸山など七つのスキー場があり,隣接の湯沢町とともに日本最大級のスキー観光地を形成している。《北越雪譜》で知られる鈴木牧之の出身地で,記念館が長恩寺境内にあり(現在の記念館はやや離れた地にあり,同寺には牧之の墓がある),また上杉氏ゆかりの曹洞宗の名刹(めいさつ)雲洞庵がある。JR上越線,国道17号線が通じ,関越自動車道の塩沢石打インターチェンジがある。
南魚沼市中部の旧町。旧南魚沼郡所属。人口2万9295(2000)。六日町盆地の中央部を占め,西部を魚野川が北流し,川沿いにJR上越線,国道17号線が通じ,関越自動車道の六日町インターチェンジがある。中世には上田荘に属し,坂戸山に上田長尾氏の居城があった。1598年(慶長3)には堀直奇(なおより)が居城したが,1610年廃城となった。六日町の名は六斎市にちなむもので,中世以来坂戸城下の市場町として発達し,江戸時代には三国街道と清水街道の分岐点,魚野川船道(上田船道)の終点の河岸場にあたる交通の要衝でもあった。明治以降は郡役所などが置かれた。魚野川西岸の段丘面では昭和初期に国営の開田事業が始められ,1961年までに600haの水田が開かれた。雪晒(ゆきざらし)を特徴とする越後上布の産地であり,第2次大戦後は電子部品,バドミントン・ラケットの工場も立地している。1957年天然ガス試掘の際に発見された六日町温泉(純食塩泉,48~52℃)は64年国民温泉に指定されて観光客を集めており,スキー場も4ヵ所ある。92年完成した三国川ダム周辺や魚沼スカイラインの建設など,観光開発を進めている。
南魚沼市北部の旧町。旧南魚沼郡所属。人口1万5636(2000)。東部には信仰の山として知られる越後三山があり,町の中央を魚野川が貫流している。中世には藪神(やぶかみ)荘に含まれ,南北朝時代の城跡もある。江戸時代には三国街道が通じ,中心集落浦佐は宿場として,また毘沙門堂(普光寺)の門前町として栄えた。魚野川東岸の大崎は八海山の登山口にあたり,大前(おおさき)神社は火渡祭でも知られる。水無川の扇状地八色原(やいろつぱら)では1965年から国営の開拓事業が始められ,78年完成,機械化農業が行われている。豪雪地帯ではあるが交通路の整備により,電気器具などの中小工場の進出もめざましい。JR上越線が通り,また81年上越新幹線浦佐駅の開業によって首都圏との交通も便利になって,国際大学,北里大学保健衛生専門学院が誘致され,92年には県立国際情報高校を開校し,学園都市づくりを行っている。毘沙門堂は坂上田村麻呂の創建と伝え,3月3日の裸押合(はだかおしあい)祭は有名である。
執筆者:佐藤 裕治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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