厚木(市)(読み)あつぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「厚木(市)」の意味・わかりやすい解説

厚木(市)
あつぎ

神奈川県中央部にある市。相模(さがみ)川中流右岸の相模平野から丹沢山地東斜面にかけて広がる。1955年(昭和30)厚木町と睦合(むつあい)、小鮎(こあゆ)、南毛利(なんもうり)、玉川の4村が合併し市制施行。同年相川、依知(えち)の両村、1956年荻野(おぎの)村を編入。2002年(平成14)に特例市に移行(2015年施行時特例市に名称変更)。中心市街地の厚木は、江戸時代の矢倉沢(やぐらさわ)往還宿場町と、相模川の河岸(かし)集落から発展した。明治中期、東海道本線の全通後は近代交通の幹線から外れていたが、1927年(昭和2)小田急電鉄が開通した。第二次世界大戦後は国道129号、246号、271号(小田原厚木道路)、412号の整備に加え、1969年東名高速道路が全通し、神奈川県中部の交通拠点となった。2013年(平成25)には圏央道も開通している。現在は首都圏業務核都市として物資集荷、配送(流通)と情報の基地となり、厚木インターチェンジの周辺には、自動車、電気機器、一般機械などの工場が立地し、また、自動車、産業機械、軽電機など大企業の研究所(技術開発センター)や、東京工芸大学や東京農業大学、神奈川工科大学、松蔭大学なども進出している。そのほか、市内各地で大規模住宅団地の開発が進み、京浜のベッドタウンの性格をもつ。北部の県営中津工業団地(内陸工業団地)の数十の工場は、市街地に近い諸工場とともに、厚木を内陸工業の有力拠点として発展させている。

 荻野は、小鮎川の支流荻野川の上流地域にあたり、古くから相模中央部と津久井(つくい)地方を連絡する要地で、馬市、炭市で知られていた。相模川や中津川はアユ漁で、近郊はイチゴ狩りやイモ掘りで、また東丹沢はキャンプでにぎわう。小鮎川をさかのぼった飯山観音(いいやまかんのん)(長谷寺)は、坂東三十三所霊場の第6番札所で、近くに国の重要文化財である阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)を有する金剛寺がある。西部には広沢寺温泉(こうたくじおんせん)や七沢(ななさわ)温泉、飯山温泉があり、七沢温泉の南東の七沢城跡には県設立の神奈川リハビリテーション病院、県立自然環境保全センターがある。飯山観音では4月の大祭にタニシを売る店が多く、「タニシ町」とよばれ、温泉付近ではタニシ料理が名物となっている。厚木付近は江戸時代から豊かで、農村ではいくつもの人形芝居の座が結成されていたが、いまも残る長谷(はせ)座と林座は小田原市の下中座とともに国の重要無形民俗文化財となっている。面積93.84平方キロメートル、人口22万3705(2020)。

[浅香幸雄]

『『厚木近代史話』(1970・厚木市)』『『厚木市史』既刊8冊(1985~ ・厚木市)』


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