厚樫山(読み)あつかしやま

日本歴史地名大系 「厚樫山」の解説

厚樫山
あつかしやま

国見町北部の中央やや西寄りに位置し、標高二八九・四メートル。文治五年(一一八九)八月、源頼朝が奥州平泉藤原氏を攻めた奥州合戦時に戦いが行われた山で、「吾妻鏡」は阿津賀志・厚加志の文字を使用している。「延喜式」兵部省は、陸奥国篤借あつかし駅を記し、「和名抄」陸奥国刈田かつた郡には篤借郷がみえ、現宮城県白石市南部一帯に比定されている。山名はこれに由来するものであろう。

元禄(一六八八―一七〇四)頃の仙台藩絵図(宮城県図書館蔵)では、光明寺こうみようじ北方東越あつこし山を阿津賀志山とし、明治一四年(一八八一)の光明寺村誌(国見町史)は東越山にアツカシの読みをつけている。また同年の貝田村誌(同書)は阿津加志山を東越山ともいうとする。「信達一統志」は国見社の北にあると述べており(信達二郡村誌附録甲集)、「奥羽観蹟聞老志」は、両説ありとして一つは貝田かいだ東山とし、一つは越河こすごう(現白石市)の東山としている。このように古くには阿津賀志山の名称は、伊達郡・刈田郡の境界一帯の山山につけられたものであった。厚樫の表記が一般化するのは、明治四二年に陸軍参謀本部陸地測量部が作成した五万分の一地形図「桑折」が出た以降のこととみられる。厚樫山の別称に国見山があるほか(明治一四年「大木戸村誌」国見町史)、天明六年(一七八六)成立の「信達歌考証附録」には観国峯・白鹿峯と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の厚樫山の言及

【阿津賀志山の戦】より

…1189年(文治5)8月8日から10日にかけて,福島県国見町の厚樫山(現在はこう書く)一帯で行われた戦い。源頼朝が陸奥国平泉の藤原泰衡を討つために行った,いわゆる奥州征伐の中の最大の激戦。…

※「厚樫山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android