原亮三郎(読み)はら・りょうさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「原亮三郎」の解説

原亮三郎

没年:大正8.12.8(1919)
生年嘉永1.10.18(1848.11.13)
明治大正時代の出版業経営者。美濃国(岐阜県)に生まれる。本姓伊藤。幼名寿三郎。父忠右衛門は大庄屋だった。藤川三渓の下で漢籍を修める。駅逓寮などに勤めたのち,明治8(1875)年,横浜で出版社・金港堂を設立し,翌9年,東京日本橋に移転した。金港堂は教科書や教育関係の出版物,『少年界』『少女界』など七大雑誌を発行し,明治時代の有力出版社となった。また20年に第九十五国立銀行頭取になり,25年の第2回総選挙で衆院議員に当選した。この間21年には,三宅米吉編集の雑誌『文』を,山田美妙編集の『都の花』を創刊した。<参考文献>稲岡勝「金港堂小史」(東京都立中央図書館『研究紀要』11号),同「『原亮三郎』伝の神話正像」(『出版研究』18号)

(井川充雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「原亮三郎」の解説

原亮三郎 はら-りょうざぶろう

1848-1919 明治時代の出版経営者。
嘉永(かえい)元年10月18日生まれ。明治8年横浜に出版社金港堂を創業し,翌年東京日本橋に移転。教科書をはじめ文芸雑誌,書籍などの出版にあたった。25年衆議院議員。大正8年12月8日死去。72歳。美濃(みの)(岐阜県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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