朝日日本歴史人物事典 「原口兼済」の解説
原口兼済
生年:弘化4.2.17(1847.4.2)
明治期の陸軍軍人。豊後森藩(大分県)藩士才木寛吾の4男。原口等の養子となる。兵学寮を経て明治5(1872)年陸軍少尉に任官し,ドイツに派遣されたのち,戸山学校長,近衛歩兵第1連隊長を歴任した。日清戦争(1894~95)には大佐,第4師団参謀長として出征。戦後,少将に進級して歩兵第20旅団長,台湾守備混成第1旅団長,歩兵第17旅団長などを務めたが,36年休職。37年日露開戦により復職し,教育総監部参謀長などを経て中将に進み,新設の第13師団長に就任。樺太作戦に従事したが,ロシアの守備兵は少数で本格的な戦闘もなく占領に成功した。戦後その功により男爵。39年ふたたび休職となり翌年予備役。43年から大正7(1918)年まで貴族院議員。
(戸部良一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報