双ヶ丘(読み)ならびがおか

日本歴史地名大系 「双ヶ丘」の解説

双ヶ丘
ならびがおか

[現在地名]右京区御室〈岡ノ本町・双岡町〉

平安京域北西隅の外に位置する丘陵で、村内の南にあたる。標高一一六メートルの一ノ丘が北側にあり、二ノ丘・三ノ丘と順次低くなり、山腹には古墳群がある。西麓には妙心みようしん寺・法金剛ほうこんごう院、北麓に仁和にんな寺が建つ。現在、国指定名勝

双ヶ丘の周辺地は古くから天皇の遊猟地とされ、「類聚国史」によれば天長七年(八三〇)閏一二月二日に「天皇幸北野、便幸大納言清原真人夏野之双岡宅」とあるのや、同九年九月二六日「乗輿幸北野、試鷹犬、猟双岳及陶野」とあるのが早い。山麓には貴族山荘が営まれ、「類聚国史」にみえる右大臣清原夏野宅(後の法金剛院)や、「続日本後紀」承和一四年(八四七)一〇月二〇日条に「双丘下有大池、池中水鳥成群、車駕臨幸、放鷂隼之、左大臣源朝臣常山庄在丘南」とある源常の山荘などが記録される。

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百科事典マイペディア 「双ヶ丘」の意味・わかりやすい解説

双ヶ丘【ならびがおか】

京都市右京区の御室(おむろ)にある丘陵。標高116mの一ノ丘が北側にあり,それより低い二ノ丘,三ノ丘が南に並ぶためこの名がある。国指定名勝。三つの丘の山腹に計19基の古墳があり(双ヶ丘古墳群),西麓に妙心寺,法金剛(ほうこんごう)院,北麓に仁和(にんな)寺が建つ。またかつては三ノ丘東麓に双池があった。平安京の北西郊に位置して一帯は古くから天皇の遊猟地となり,また山麓には貴族の山荘が営まれた(その一つである右大臣清原夏野宅がのち法金剛院となる)。《徒然草》の著者吉田兼好は一時期,二ノ丘西麓に住んだと伝え,一ノ丘東麓の長泉寺境内兼好の墓と歌碑がある。双ヶ丘,双池はともに歌枕
→関連項目宇太野

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改訂新版 世界大百科事典 「双ヶ丘」の意味・わかりやすい解説

双ヶ丘 (ならびがおか)

京都市右京区御室にある丘陵名。一の丘,二の丘,三の丘の三つの小丘から成るためこう呼ぶ。双岡,双岳とも記され,平安京西郊の名勝として古くから著名であり,847年(承和14)には丘の東墳が従五位下に叙されるというほどであった。付近には仁和寺や,双岡大臣と号された右大臣清原夏野の山荘などが営まれた。また中世には兼好法師が二の丘のふもとに住んで《徒然草》を執筆している。三の丘の麓にあった双池とともに,歌枕でもあった。現在も,景勝地として親しまれている。国の名勝。
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